復讐の毒鼓 第77話
「以前私が簡単な命令をすると言いましたね?」
早乙女は呼び寄せた内村に言った。
「はい。だから連れて来ました。」
「そうではなくて、今回の命令だけちゃんとやってくれればいいですから。」
早乙女は静かに、そして冷淡に、一年前と同じ命令を内村に言い渡した。
「前に出て足広げろ。」
「!」
今日と同じく降りしきる雨の中、自分の股を這ってくぐる秀の姿が内村の脳裏に鮮明に甦る。それとは対照的に状況が飲み込めない勇に、早乙女はこれ以上ない程蔑んだ口調で言い放った。
「2年生、内村様って言いながら股の下でもくぐってみたらどうですか?私のご機嫌取りで。去年はあんなに上手にやってたじゃないですか。」
気が狂うほどの屈辱感を植え付けられた上での暴行死。どれ程の想いで亡くなっていったのだろう。煮えたぎる怒りに顔を歪ませる勇に、早乙女がさらに追い討ちをかける。
「あんなに低ーく這いつくばって謝ってたのに。」
「去年と一緒だな。」
側にいる右山がポツリと呟く。その後ろに勢揃いのナンバーズ達は、皆一様に蔑みに満ちた薄ら笑いを浮かべていた。
心の底から憎む相手を前に這いつくばうなど、できるはずがない。亡くなった秀の命を、これ以上無駄にしてなるものか。しかし早乙女は、怒りに打ち震える勇に非情な宣告をした。
「出来ないんですか?そうですか。じゃあ仕方ない。四宮に電話して江上を…。」
「2年生、内村様!」
私的な復讐のために、関係のない江上を犠牲にする訳にはいかない。勇は内村の前にその身を屈め、這いつくばった。砕けそうなほど奥歯を食いしばりながら。
「やれば出来るじゃないですか。復讐?誰にでも出来る訳じゃないんですよ。負け犬はいつだって負け犬だ。」
地を這う勇を徹底的に見下す早乙女の前で、内村は自分の股をくぐろうとしている勇をただやり切れない想いを抱えて見守ることしか出来なかった。
電話の知らせに慌てて街を駆ける木下。路地を曲がったところで、明らかに自分のことを指して行っているであろう声が聞こえた。
「おー、マジじゃん。チッ、手間取らせやがって。最初からこの方法使えばよかったぜ。」
振り返った木下の視線の先にいる番外は、その後ろに泰山高校の女子を従えていた。
「なに?」
「早乙女が呼んでる。ついて来てもらおうか。」
「近寄らないで。」
番外の要求に、木下はかんざしの先を向けて抵抗した。
「おーコワ。女相手にすんのもアレだから、お前らが行ってくれよ。」
「先輩、大人しく行きましょーよ。乱暴されたくないでしょ。」
後ろに従えた女子達に番外が指示すると、女子達は早速木下に絡む。だが木下は彼女らに従う気など微塵もなかった。
「ざっけんなよ、てめーら…。かかって来な!相手してやるよ。あたしが泰山の女子の中で一番強いの知ってんの?」
「だからそんな調子乗ってんだ。ちょーどいーじゃん。ぶっ潰してあげる。」
木下が泰山の女子を睨みつける。先に動いたのは木下だった。間合いを詰めるその動きに、全く反応できない。正面の女の頭にかんざしを突き刺すと、すぐに横の女の腹にも突き刺す。そして間髪入れずに残った一人の腹を蹴ると、その女の髪を掴んだ。
「…!このっ…!離せよ!」
もう一方の手で持つかんざしでトドメを刺そうとした時、番外が動いた。
「ヒュー、こりゃ見物だぜ。そこら辺の男より強えな。さすが泰山の女番長。」
「あんたもかかって来な。目障りだから。」
髪を掴んでいた女を乱雑に捨てると、木下は番外を煽った。
「泰山の女の中で10年振りの逸材って聞いてはいたが、マジみてぇだな。ま、と言っても…。」
番外の顔つきが変わる。
「オンナじゃねーか。」
その一言を合図に、2人が同時に攻め入る。迫ってくる番外の拳にかんざしを突き立てる。当たるかと思われたその時、番外のその手は拳を解き、木下の手首を掴んだ。
ドスッ!
木下の脇腹に拳が刺さる。
「俺もうちの学校で番張ってんのよ。アマに負ける訳にゃ…いかねーんだよ!」
腹への無情な蹴りの前に、木下は倒れた。倒れた木下の頭に足を乗せ、番外は電話をした。
「おー、俺よ。捕獲かんりょー。」
復讐の毒鼓 第76話
持ち主不在の携帯のバイブ音が、教室で鳴っている。席についている他の生徒は、まるで江上など初めから居なかったかのようにそのバイブ音に気を留めることなく授業を受けていた。
江上が電話に出ない。不穏な空気が全身に纏わりつく。仁はアドレス帳から『男勝り』としてある者に電話をかけた。
警察署。倉田の前に座る木下の携帯が鳴る。
—————『怪力』 着信中—————
「ちょっと電話出るわ。」
「おう。」
木下は画面に表示された着信の相手を確認すると、すぐに電話に出た。
「なに?」
『あんさ、江上さん電話出ねぇんだけど、どこにいるかお前知らねえ?』
「! とりあえずあんたはあたしのこと迎えに来て。場所は…。」
雨の中、仁からの知らせを待つ愛に着信が入る。
「うん、仁。」
[おー、愛。お前まだ泰山の近く?』
「もう違うけど、バイクですぐだよ。」
『やっぱなんか起きたっぽいわ。お前泰山行ってちょっと探って来いや。』
「どこを?」
『俺っちもわかんねーけど、とにかく探ってみろ。俺っちは先週知り合ったイカつい弟嫁迎えに行くからよ。』
「弟嫁?」
『そー。』
「よくわかんないけど、とにかくわかったよ。」
電話を切ると、愛はすぐに泰山高校へ向けてバイクのスロットルを全開にした。
「五十嵐さんと一条さんはその場でお前の味方になるらしい。」
降りしきる雨の中、公園に向かう勇に南原が告げる。内村も一緒だったが、何と声を掛ければ良いか分からず黙り込んでいた。
「内村。なんで黙ってる。」
「え?あ、いや、別に。」
話しながら歩くうちに"処刑場"に集まった人だかりを見て、南原が思わず呟く。
「勢揃いだな…。」
「君たちもこちらに来て下さい。」
午後7時。勇達の前に現れた早乙女が、内村と南原を呼び寄せる。指示を聞いて迷う2人に、すぐに勇が声を掛けた。
「行け。そうしたくないのは分かってる。」
「さすが毒鼓だ。1人でも堂々と、全く物怖じしていない。」
怯む様子を微塵も見せない勇に、早乙女が賛辞を送る。だがそれも、残酷な宣告とセットだ。
「ここには君の味方はいません。五十嵐?一条?ハッ…知ってましたか?」
「なんとなく。」
「ほぅ、そうですか…。もしもし、四宮。今の写真送って下さい。」
早乙女は電話で指示を出すと、手下の1人に携帯を手渡し、その写真を勇に見せるよう命じた。
最悪の展開だった。手下が持つ携帯の画面に映し出されたのは、ガムテープで口を塞がれ、両手を後ろに縛られて倒れている江上の姿だった。
「どうですか?実況中継を見た感想は。君が暴力を振るった瞬間、この女を強姦(まわ)します。」
「テメェ…!汚ねぇぞ…!」
憎悪に燃える勇の顔を見下す早乙女のそれは、冷たく、蔑みに満ちていた。
「君が戦おうと言ったところで、私が二つ返事で正々堂々と賛成するとでも思いましたか?物事をあまり大げさに運ぶのは好きじゃなくてね。それに江上が何かされるのがそんなに嫌ですか?私だったら気にせず戦いますけどね。アレですか?喧嘩はしても汚いマネはしない…。そんなことでも思ってるんですか?」
「…。」
激しい怒りに刺すような眼差しを向ける勇に、軽蔑に満ちた薄ら笑いを浮かべながら早乙女は言い放った。
「くだらない。」
(遅い…。)
仁の迎えを待つ木下は、待ち切れずに一人警察署から出て来ていた。
「ちょっと!なんでこんな遅いのよ。」
その時鳴った電話の相手を確認せず、木下はすぐに出た。電話の向こうからヒステリックな声が聞こえた。
『ねぇ!神山が死んでる‼︎』
復讐の毒鼓 第75話
五十嵐は連れてきた江上を、焼却炉の倉庫に乱暴に放り込んだ。
「目の前にこんな御馳走が転がってんのに、そのままにすんのも礼儀じゃねぇしなぁ!」
火山が噴火するかの如く湧き上がる性欲。五十嵐はその本能を抑えようともせず、江上の前でズボンのベルトを外し始めた。半ば隔離されたようなこの閉鎖的な空間に、か弱い少女が一人。この状況は、五十嵐の理性を吹っ飛ばすのには十分だった。その理性を失った野獣に、後ろから声が掛かる。
「何してんだ。」
「チッ…冷めるわマジで。」
心底口惜しそうに舌打ちする五十嵐を、親衛隊3位、三鷹通が咎めた。
「どけよコラ。物事には順序があんだよ。こっちを先に終わらせてからだ。」
2人は江上の両手を後ろに回してガムテープで巻き、さらにそれで口を塞いだ。
「神山秀がまたやられるって…。そりゃどういうこった?」
倉田は木下の訴えを理解しかねていた。要領を得ない倉田のリアクションに、木下の声のトーンがヒステリックに上がっていく。
「去年もやられたでしょ!あの神山秀よ!神山秀!」
「神山秀は死んだよ。」
言葉のナイフが木下の胸を抉る。
「は…?な…なに言ってんの…?」
「神山秀は去年のあの事件で死んだんだよ。」
「何言ってんのよ!3週間前に復学して、学校にちゃんと通ってんだから!」
「勇のこと言ってんのか?」
「あ!思い出した!」
木下にとって信じ難い、そして絶対に信じたくないあまりに辛い現実を倉田が突きつける横で、若手刑事が声を上げた。
「なんか見覚えがある顔だって言ったじゃないですか。山崎哲郎が亡くなった時、先輩は校長室に行って私は陳述書書いてたじゃないですか。」
「あぁ、それで?」
「その時陳述書書きに来てました。」
「なんだと?」
(だとしたら…神山勇が…?)
倉田の頭の中に、不吉な想像が膨らんでいく。
午後6時10分。雨足がさらに強まる中、ナンバーズのメンバーが続々と公園に集まる。
「7時っつったよな?」
「あぁ、まだ親衛隊は誰も来てねぇけどな。」
「去年と一緒じゃん。雨も降ってるし。」
「前みてーにやられんだろーな。ククク。」
これは喧嘩ではない。一方的な制裁である。自分達が持ってきたバットや角材、木刀などの側で、集まったメンバー達は口々にこれから起こるであろう残虐な教育ショーへの想いを口にした。
焼却炉の倉庫前にも人が集まる。この一角を取り仕切る親衛隊4位、四宮拓馬に、早乙女から電話で指示が入った。
「じゃあ俺はここで張ってりゃいいワケ?」
「ええ。今番外と女子達が木下千佳子を探してます。捕まえるまで帰らないで下さい。」
番外とは小学校時代、秀をいじめる度に勇に殴られていたあの男の名だ。早乙女からの電話を切った四宮は、心の底から退屈そうな顔で連れてきた男たちに声を掛けた。
「あーあ、めんど。オイ、1年坊主!江上百々、俺らで先に手ぇつけるか。お前らが黙ってりゃバレないじゃん。」
「おー!」
「へへ。」
四宮の提案に卑猥な笑みを浮かべる1年生達。そんな下っ端の彼らは四宮にとって、憂さ晴らしに蔑む対象でしかなかった。
「バーカ。これだからお前らと仕事したくねーんだよ。早乙女に報告しとくわ。」
同じ頃、一通り事情を聞いた倉田に家に帰るよう諭された木下は、宙を見つめて黙り込んでいた。
午後6時30分。土砂降りの雨の中をバイクで配達していた愛が街中で見かけた、顔見知りの男に声を掛ける。
「おーい、番外じゃん。」
「おう、愛。出前か?」
何気ない会話を交わす2人。番外の連れの男の顔が、僅かに強張っているように見えた。
「まぁね。番外、この辺で何してんのさ。」
「まぁ、ちょっとな。泰山の女子と合コンよ、合コン。」
「…へー?やるじゃん。じゃね。」
一瞥してその場を去った愛だが、街の様子が気になる。他所の制服を着た者が、泰山高校の生徒に話し掛ける姿が目立つ。
(なんだ…?なんかあったのか?)
愛はすぐにバイクを停めると、電話をかけた。
「もしもし、仁?あのさ、江上さんの連絡先知ってるよね?電話してみて。今泰山の近くまで配達来たんだけど、なんかおかしいよ。」
復讐の毒鼓 第74話
泰山高校は男女でクラスが分かれている為、江上や木下のいる3年8組には女子生徒しかいない。五十嵐はその教室の前で1人の女子生徒と話していた。
「木下さんならさっき早退したけど…。」
「マジかよ…。じゃあ江上は?」
「百々?あそこだよ。」
前髪を切り揃えた女子生徒が江上の座る席を見ながら言うと、五十嵐はズカズカと江上の前まで歩いて行った。
「ちょっと一緒に来てもらおーか。」
「え?どうして?」
五十嵐の歪んだ表情にただならぬ気配を感じた江上が聞き返すと、五十嵐は突然江上を張り飛ばした。
「とぼけてんじゃねーぞ!このアマ!調子乗ってんじゃねーぞ、クソアバズレが!ざけやがって!オメー、マジでぶっ殺す!」
床に倒れた江上を口汚く罵りながら散々足蹴にした後、五十嵐は江上の髪を掴んで引きずっていった。
「いった…痛い…痛いってば!離して…!」
悲鳴をあげながら引きずられる江上を、クラスメイト達はただ不安げな目で追うことしかできなかった。
「木下千佳子が、自分から来ただと?」
警察署の倉田の元へ、木下は自ら出向いていた。
「これ、証拠。」
目の前のテーブルの上に、秀(と共同)の手帳をぶっきらぼうに置く。続いて木下が口にした言葉に、倉田の顔色が変わった。
「それと、これから大きな喧嘩が起きるから、早く行って捕まえて。」
「なんだって?」
屋上で待つ早乙女の元へ、遠藤が近江を連れてくる。早乙女の指示で目の前まで歩を進めた彼を早乙女が問いただした。
「一条、五十嵐、神山と組んで、私をハメようとしてたそうですね。」
「えっ⁉︎」
「驚き過ぎでしょう。」
「なんの…話…でしょう…。」
自身がしてしまった馬鹿正直な反応を慌てて取り繕おうとするも、時すでに遅し。早乙女が佐川の名を呼ぶと、彼は近江の横を素通りして、その後ろにいる遠藤の前まで歩いていった。状況が分からず、首を捻る遠藤。そんな遠藤の顔を、佐川は突然殴りつけた。
「せ…んぱい…。なんでっすか…。」
地面に這いつくばっている遠藤は、呻くように訊く。しかし佐川はそれに答えることなく、まだギプスがはまったままの遠藤の右手首を踏みつけた。
「ぐあああっ!」
あまりの激痛に遠藤が悲鳴をあげる。この学校のトップ3人を前に尻込みしていた近江が、その声を聞いてキレた。
「やめろ!」
「やめろ?ずいぶんエラくなったな。」
睨みを効かす佐川を前に構えをとる。そんな近江に早乙女が、歪み切った薄ら笑いを浮かべて言った。
「待ってましたよ。そうこなくっちゃ。そっちの方が潰しがいがありますからね。」
「うあああっ!」
恐怖とプレッシャーに今にも押し潰されそうな身体を、自らの声で奮い立たせる。近江は佐川に向かって拳を振るうも、あっさりと躱された。だが、それも織り込み済み。近江は突進の勢いをそのままに、出入口のドアまで走った。この3人を相手に、こちらには味方もいない。しかも丸腰とあっては、勝機などかけらも無い。なんとかこの状況を打破しようと近江がドアを開けると、その向こうには一条が立っていた。一条は近江に向かって拳を振りかぶる。この瞬間、近江の全身の細胞が最大音量で警告を鳴らした。とにかく身を守らなければ、殺される。一条のパンチは本能的に身を固めた近江のガードごと、彼を吹っ飛ばした。
(クソッ…!これじゃあやられちまう!)
慌てて立ち上がった近江だが、その刹那、脇腹に重苦しい激痛が走った。放たれた一条のパンチに、反応すらできなかった。一条は辛うじて立っている近江の奥襟を掴むと、その剛腕を何度も叩きつけた。地獄の業火のように身を焼く激痛に、近江の顔が歪んでいく…。
復讐の毒鼓 第73話
「どうしましたか?驚きましたか?」
暫く無言の勇に早乙女が問い掛けると、ようやく勇が口を開いた。
「お前か。」
「なにがですか?」
「うちに侵入したヤツは。」
早乙女が自分の本名を口にしたことで、勇の疑惑が確信に変わった。だがそれがバレたところで早乙女の表情は微動だにしない。
「へー。なぜ気付いたんですか?」
「額縁がズレてた。」
「あぁ、額縁ですか。私みたいに金持ちだとそういうことに疎くてね。」
露骨に皮肉を込める早乙女に、今度は勇が問う。
「最後のチャンスってどういうことだ。」
「どうしますか?後腐れが残らないよう、ここでタイマンでも張りますか。」
「望むところだ。」
そう言いながらメガネを外す。だが臨戦体勢の勇に、早乙女はなおも語り掛けた。
「君の目的は私1人を倒すことですか?それともナンバーズの解散?」
「お前を倒せば全て終わるはずだ。」
「浅はかですね。君が私を倒したからって、このシステムが無くなるとでも思ってるんですか?私が君に負けるはずはありませんが、もし負けたとしてもたった一度だけ神山に負けた早乙女が運営するナンバーズとしてそこにあり続けますよ。単なる復讐。君にはそれ以上のことは出来ないってことです。時間の無駄でしたね。」
黙って睨みつける勇に、早乙女は提案した。
「君にチャンスを与えます。君は毒鼓ですから。」
「どういうことだ。」
その次の瞬間、早乙女は信じ難い言葉を口にした。
「ナンバーズに入れ。運営陣に入れてやる。」
「…。」
早乙女は自分の卒業後のナンバーズの存続について、気に掛けていた。彼の見立てでは、来年最高学年になる今の2年の中にトップを張れる人材は見当たらなかった。
「でも君ならできる。私が運営方法を教え、来年からは君がナンバーズを引き継ぐ。そして君は報酬の中から少しだけ私に送る。それだけで月50手に入りますよ。」
「ふざけやがって…!」
そのあまりに突拍子もない提案に怒りを露わにする勇に、早乙女はさらに説得を続けた。
「話が通じないようですね。どこから話せばいいでしょうか。私が小4の時ですが、お金の好きな女教師がいました。みんなが包んでいた金一封をうちだけ持って行かなかった。その後私がどうなったか分かりますか?」
「俺に答えろと?」
お前の昔話などどうでもいいと言わんばかりの勇に、早乙女は自ら語り出した。
その女性教師に唯一賄賂を渡さなかった早乙女は、実に巧妙な嫌がらせを受けた。間違いを犯せば、クラスメイトの前で笑い者にされる。他のどの子供よりも厳しく叱られる。いつも掃除をさせられる…。そんな中で早乙女の性格は見る見るねじ曲がっていった。他のクラスメイトをいじめるようになったのも、その頃のことだ。学校側はそんな早乙女の素行を見るに見かね、保護者面談をすることになった。その保護者面談に臨んだのは、当時検事をしていた早乙女の父親だった。彼が学校に来た途端、今まで起きていた問題が全て解決したのだった。
「金でもやったの?」
面談の帰り道で、もう自分に手出しは出来ないと言う父親に早乙女が問う。すると父親は早乙女の前にしゃがんで話し始めた。
「いいや、本当に力があれば、誰も手は出せないんだ。私がどうして検事になったか分かるか?合法的に人を潰せる「本当の力」が持てるからだ。だからお前も「本当の力」を持て。」
「その「本当の力」を得るためにナンバーズを作った、と?」
話を聞いた勇の問いに早乙女が答える。
「少なくともこの学校では私に勝てる奴はいません。私が月に54万稼いでいると言っても誰も信じないほどです。面白いと思いませんか?負け犬共は自分の理解の範疇を超えたことは、信じようともしない。現実を受け止められないんですよ。」
「負け犬はお前だ。卒業したらお前に何が残る?せいぜいバイトをするくらいだろ。」
「みんなそうやって自分を安心させるんだ。所詮不良は卒業したらバイトくらいしか出来ないだろってね…。負け犬は社会に出ても負け犬で居続けるってことを認めないと。」
「なんだと?」
「私が中学の時スイミングに通っていたのですが、負け犬達はその時もことあるごとに講師に金を渡していました。面白いと思いませんか?月謝とは別に、勝手に金を集めて渡す。これ以上の愚行がありますか?」
早乙女の言う、"負け犬は社会に出ても負け犬"を象徴するエピソード。話はさらに続いた。
「負け犬はいつだって渡す側なんですよ。一生そうやって暮らしてきたから、その生き方しかできないんです。」
「それで?」
「君が勝ち組として生きていけるようにしてやると言ってるんです。高い場所から庶民を見下すほどいい景色はありません。しかも君は中卒でしょう?このままじゃろくに就職だってできない。この国は学歴社会です。数人の例外を見て安心するほどバカじゃないでしょうし、君がこの国で出来ることといったら君の父親のように力仕事くらいです。」
他人の家族まで平気で蔑む皮肉に溢れた早乙女の言葉に、傘の柄を持つ勇の手に力が入る。そんな勇の怒りに構うことなく、早乙女はなじり続けた。
「どうせ今もうちから貰ってる示談金で生活してる分際で。」
この一言に、勇の怒りが沸点を越えた。先程から力が入る傘の柄を持った勇の手は、ついに柄を握り潰した。だがここで即座に飛び掛かるほど、勇は単細胞ではない。喧嘩を熟知する勇だからこそ、怒りに我を忘れて飛び掛かることほど危険なものは無いことを分かっているのだ。
「今すぐにでもお前を倒すことはできるが、俺もお前に機会をやる。」
「なんだと?」
負け犬の遠吠えを嘲笑うかのような見下した顔の早乙女に、勇は言い放った。
「反省する機会。」
相変わらず人を見下したような薄ら笑いを浮かべる早乙女を、今度は勇が煽る。
「お前は自分が絶対間違ってないと思ってるだろ。こんな世間が自分を腐らせた。そんな風に自分へ言い訳しながら生きてるんだろ。」
「コイツ…。」
にわかに気色ばんだ早乙女に、勇はさらに続けた。
「どんなに世間が腐りきってても、真っ当に生きてるヤツらがバカらしく見えても、テメェがその上に立つ権利なんざねーんだよ。」
「…。」
「フランス革命で、市民たちは王と王妃を処刑した。」
「フッ、ずいぶん博識ですね。」
「いつまでもトップの座にいるつもりだろ?今度はテメェが引きずり下ろされる番だ。」
フランス革命の時の市民たちのように。理不尽な横暴を、絶対に許しはしない。溢れんばかりの憎悪を湛えた目で睨みつけながら、勇は皮肉たっぷりに吐き捨てた。
「それから…。テメェの家族が死なせたうちの親父への示談金400万円。ありがたく使わせてもらってるよ、クズ野郎‼︎」
「なんの為に呼んだんだ?」
勇が去った後の屋上で、佐川が早乙女に尋ねた。結局話は決裂した。こうなることは始めから分かっていたことだ。早乙女は佐川の問いに冷淡に答えた。
「哀れな負け犬に最後の同情の機会を与えようとしただけです。始めましょう。」
遠藤の携帯が鳴る。内村の携帯も鳴る。戦いは、静かに動き出した。
復讐の毒鼓 第72話
『その他』の正体を知る者は、ナンバーズの中でも早乙女と木下だけ。つまりその秘密を秀が知っているとなると、その2人のどちらかがバラしたことになる。早乙女が知らせるなどということはない。したがって秀がそれを知っているということは、木下の裏切りを意味することになる。実に巧妙な仕掛けによって秀は犠牲になり、ナンバーズは存亡の危機を免れたという訳だ。
「だからって、あたしへ相談もなしにすぐに投書するなんて思ってもみなかったけどね。」
木下は自分のビンタで飛ばした秀(勇)のメガネを拾った。
「僕たちはどうやって付き合うようになったんだっけ。」
「去年アンタが『僕のこと好きなの?』って聞いたでしょ。」
少し歪んでしまったメガネのフレームを直しながら木下は続けた。
「アンタは頭がキレるのに、それでいて控えめ。あたし頭良い男に弱いの。そしてアンタは押しに弱い。退屈で仕方ない文芸部に入ったのもアンタのせい。」
「木下さんって随分ストレートだね。」
手渡されたメガネを受け取りながら勇が率直に表現すると、木下は顔いっぱいに蔑んでみせた。
「なに?アンタも江上百々みたいにおしとやかな清純派が好きなワケ?」
「いや、別に…。江上さんのことはどうして目の敵にしてるの?」
「だっていつもアンタの近くにいるから。ムカつくし。それだけ。」
「じゃあ…去年僕の味方だったのは木下さん…?そのこと話そうとして呼んだの?」
「ううん。」
勇の問いに木下の表情が曇る。そして重々しく口を開いた。
「五十嵐と一条。アンタと組んだフリしてるけど、本当は違うよ。」
この言葉に何故だか勇は表情を変えなかった。良い知らせとは言い難いものの、とっておきの情報だったのに。
「あれ?ビックリしないの?」
「そんな気はしてたよ。」
穏やかに目を伏せながらそう言う勇に、木下は話を続けた。
「あ。それとアンタの手帳、あたしが持ってるから。」
「どうして木下さんが?」
「だって元々…共同の手帳だったでしょ。交換日記みたいに。」
ここまで聞いた勇の中に一つの疑問が湧いた。
「なんで今さら言うの?僕が学校に戻ってもう3週間も経つのに。」
「先に動くなって言ったのはアンタでしょ。」
1年前、秀はくどい程に念を押して木下に伝えていた。
「何があっても木下さんは早乙女の仲間のフリしてて。僕が動くまで何もしなくていいから。」
「分かった。」
健気にも素直にそう答える木下を、秀は何がなんでも守りたかったのだ。
キーンコーンカーンコーン♪
話をするうち、始業を告げる鐘が鳴った。
「教室戻らなきゃね。手帳いる?」
「くれるなら欲しいけど。」
「あたしが警察に持ってく。勝手に投書したアンタみたいにね。」
「いや、あのさ…。」
自分から聞いておいて何だというのだろう?勇が抗議しかけたその時、木下が突然声を荒げた。
「学校に来んなって言ってんの!」
思わず立ち止まって振り向いた勇が見た木下の哀しげな表情が、勇に危険を訴える。
「今週の雨の日が処刑日だから、ここは警察に任せてアンタは学校に来ないで…。あたしも雨降ったら早退するから。」
「なるほどね。教えてくれてありがと。」
大切な人をもう二度と、あんな目に遭わせたくない。勇と連れ添って教室へと歩いていく木下の顔は泰山の女番長のそれではなく、可憐な少女そのものだった。
2人が去ると、倉庫のドアが開いた。中から出てきたのは五十嵐だ。
「あのアマやりやがったな。クックック。」
五十嵐は歪みに歪み切った笑みをその顔に貼り付けて、一人ほくそ笑んでいた。
午後12時10分。ポツポツと地面を濡らし始めた雨は、すぐに本降りとなった。その雨の中五十嵐は屋上で、早乙女に焼却炉での出来事を報告する。
「オンナっつーのは好きな男の為だったらなんだってすんじゃん。だからオンナって信用できねーんだよ。あのアマ回しちまおーぜ。」
黙々と報告を聞く早乙女に、五十嵐の無駄口が続く。
「しっかしマジで意味わかんねーよ。あんなもやしみてーな男のどこがいーんだか。」
「木下の男の趣味に興味はありません。焼却炉の倉庫は片付けましたか?」
「ああ。閉じ込められたらたまったもんじゃねーよ、あそこは。」
「では計画通り進めて下さい。神山もこちらによこして下さい。」
「クックック。クソほどおもしれーぜ。」
醜く歪んだ気色の悪い笑顔を浮かべ、五十嵐は呟いた。
教室にいる勇の元を近江が訪ねる。
「五十嵐さんから連絡が入った。今日になったらしい。午後7時だ。」
「分かった。」
勇の表情にも自然と気合が入る。いよいよ、総仕上げだ。しかし近江は続けて不可解なことを口にした。
「それから今、屋上にちょっと行けるか?」
「屋上?」
「五十嵐さんがお前のこと教育するって言って、屋上を開けてもらったらしい。相談したいことがあるみたいだ。」
(何を企んでる?)
既に敵と分かっている男の言葉など、信頼できるはずがない。だが勇は、警戒しつつも屋上へ向かうことにした。
午後4時30分。屋上に着いた勇の前には早乙女を挟んで右山、佐川が立っていた。
「あと少しで私たちの縁も終わりですね。」
「何をしようとしてる。」
目の前の諸悪の根源に対して勇が警戒心を露わにすると、彼は重々しく口を開いた。
「最後のチャンスを君にあげようかと思いまして。」
そして早乙女は、確信を持ってはっきりとその名を口にした。
「神山勇!」
復讐の毒鼓 第71話
「あんた通帳どこやった?」
不穏な空気に慌てて帰宅の途につく江上に、木下が声を掛ける。間に合わなかった。
「え…?通帳…?何のこと…?」
一応シラを切ってはみたものの、やはり通用しない。
「ちょっと優しくし過ぎたみたいだね。このままなかったことにするとでも思った?」
「え…?何の…こと?」
こっそり秀に渡した。しかも、それが実は双子の弟、勇だった。そんなことは、口が裂けても言えない。江上には見え透いていても、シラを切り通す以外に選択肢がなかった。そんな江上を無理矢理連れて行ったのは焼却炉。
「塾…あるんだけど…。」
「だから何?」
何とか理由をつけてこの場から逃げなければ。半ばパニックの江上がやっとの思いで絞り出した口実も、やはり木下には通じなかった。と、その時、戦々恐々とする江上の視界に一人の男の姿が映った。自分を挟んで江上が送る視線に、木下も自分の後ろにいるその男の気配に気付く。
「アンタ誰?」
ちょうど自分の真後ろに立っていた仁に、木下がつっけんどんに訊く。しかし訊かれた本人は相変わらず飄々としたものだ。
「ワーオ。勝ち気な女って、俺っち結構好きだぜ。」
「は?何言ってんの?あたしのことボコるつもり?」
「まさか。俺っちただの外野だし。どーぞ続きやってよ。」
臨戦体勢の木下は、自分とは対照的に緩い態度の仁を暫く睨みつける。
「コイツ誰?」
不意に仁を指差しながら訊かれた江上の口から、意外な答えが帰ってきた。
「シュウの…友達よ。」
「友達?」
作戦会議を終えた勇が自宅に帰ると、すぐに異変に気付いた。
(開いている?)
玄関の鍵をかけ忘れた覚えは無い。すぐに中を確認する。
(異常はなさそうだが。)
リビングをひと通り見渡してみるも、荒らされた形跡はない。今朝家を出た時と何ら変わりないその風景の中に、勇は一つの異変に気付いた。壁にかけてある、漫画『総帥』のポスターの額が少し歪んでいる。
「…!」
開けられた玄関の鍵。歪んだ額縁。勇は今日、留守にしている間に自宅に起こった出来事を概ね悟った。
(決戦の時が近づいているようだ。まさか家にまで侵入してくるとは…。)
ここから先の話は、どちらにしろ週が明けてからだ。勇はひとまず週末を休息に充てることにした。
翌週。登校中の勇に声を掛ける江上は、どこか浮かない表情をしていた。
「先週木下さんと話したわ。」
「木下?何だって?」
「あなたと話したいそうよ。焼却炉に行ってみれば。」
やはりいつもの弾むようなテンションとは大分違う。江上は勇の顔をろくに見もせずつっけんどんにそう言うと、さっさと校門へ向かって歩いて行った。
(なんだあの態度…。なんかあったのか?)
焼却炉の倉庫の壁にもたれて、木下は秀(勇)の到着を待つ。そこへ勇が現れると、木下は無言で勇の頬を張った。
バチンッ。
ビンタの衝撃でメガネが飛ぶ。
「通帳見たなら1番にあたしに話してよ!」
「え…?」
(なんだこの状況は。)
口を開いたかと思えば、何を言い出すのか。勇の混乱をよそに木下が訊く。
「通帳どこやったの?」
「なんだお前。急に馴れ馴れしくなんなんだ。」
「は?」
いくら女の子が相手とはいえ、(勇としては)初対面でいきなり頬を張られては黙ってはいられない。2人は暫く無言で睨み合う。木下はおもむろに勇の髪を掴むと、何を思ったか突然勇に口づけをした。
「エラくなったもんね。本当に記憶なくしたワケ?顔真っ赤にして恥ずかしそうにしてたボクちゃんじゃないじゃん。」
キスを終えても未だに訝しげな顔をする勇に、木下が食ってかかる。昨年の事を覚えていない旨を伝える勇に木下が放った言葉に、勇は驚きのあまり暫く口を閉じるのを忘れた。
「はんっ、笑わせないで。去年あたしと付き合ってたでしょ。」
「な…なんだと?」
(秀のヤツ…大人しそうな顔してこういうのがタイプだったのか。)
「その顔やめてくれる?ムカつくから。」
あまりの驚きに勇がしていた表情に辛辣な言葉を浴びせると、話を本題に戻した。
「通帳、誰に渡したの?」
「警察に…。」
「警察?アンタらしいわね。」
「でもなんでだ?」
「なんでかって?アンタが発見しやすいように、あたしがわざと置いておいたからよ!」
「…!」
「ついでにもう一つ教えてあげようか?去年は言えなかったけど、『その他』は校長なのよ!」
「なに…?」