復讐の毒鼓 第73話
「どうしましたか?驚きましたか?」
暫く無言の勇に早乙女が問い掛けると、ようやく勇が口を開いた。
「お前か。」
「なにがですか?」
「うちに侵入したヤツは。」
早乙女が自分の本名を口にしたことで、勇の疑惑が確信に変わった。だがそれがバレたところで早乙女の表情は微動だにしない。
「へー。なぜ気付いたんですか?」
「額縁がズレてた。」
「あぁ、額縁ですか。私みたいに金持ちだとそういうことに疎くてね。」
露骨に皮肉を込める早乙女に、今度は勇が問う。
「最後のチャンスってどういうことだ。」
「どうしますか?後腐れが残らないよう、ここでタイマンでも張りますか。」
「望むところだ。」
そう言いながらメガネを外す。だが臨戦体勢の勇に、早乙女はなおも語り掛けた。
「君の目的は私1人を倒すことですか?それともナンバーズの解散?」
「お前を倒せば全て終わるはずだ。」
「浅はかですね。君が私を倒したからって、このシステムが無くなるとでも思ってるんですか?私が君に負けるはずはありませんが、もし負けたとしてもたった一度だけ神山に負けた早乙女が運営するナンバーズとしてそこにあり続けますよ。単なる復讐。君にはそれ以上のことは出来ないってことです。時間の無駄でしたね。」
黙って睨みつける勇に、早乙女は提案した。
「君にチャンスを与えます。君は毒鼓ですから。」
「どういうことだ。」
その次の瞬間、早乙女は信じ難い言葉を口にした。
「ナンバーズに入れ。運営陣に入れてやる。」
「…。」
早乙女は自分の卒業後のナンバーズの存続について、気に掛けていた。彼の見立てでは、来年最高学年になる今の2年の中にトップを張れる人材は見当たらなかった。
「でも君ならできる。私が運営方法を教え、来年からは君がナンバーズを引き継ぐ。そして君は報酬の中から少しだけ私に送る。それだけで月50手に入りますよ。」
「ふざけやがって…!」
そのあまりに突拍子もない提案に怒りを露わにする勇に、早乙女はさらに説得を続けた。
「話が通じないようですね。どこから話せばいいでしょうか。私が小4の時ですが、お金の好きな女教師がいました。みんなが包んでいた金一封をうちだけ持って行かなかった。その後私がどうなったか分かりますか?」
「俺に答えろと?」
お前の昔話などどうでもいいと言わんばかりの勇に、早乙女は自ら語り出した。
その女性教師に唯一賄賂を渡さなかった早乙女は、実に巧妙な嫌がらせを受けた。間違いを犯せば、クラスメイトの前で笑い者にされる。他のどの子供よりも厳しく叱られる。いつも掃除をさせられる…。そんな中で早乙女の性格は見る見るねじ曲がっていった。他のクラスメイトをいじめるようになったのも、その頃のことだ。学校側はそんな早乙女の素行を見るに見かね、保護者面談をすることになった。その保護者面談に臨んだのは、当時検事をしていた早乙女の父親だった。彼が学校に来た途端、今まで起きていた問題が全て解決したのだった。
「金でもやったの?」
面談の帰り道で、もう自分に手出しは出来ないと言う父親に早乙女が問う。すると父親は早乙女の前にしゃがんで話し始めた。
「いいや、本当に力があれば、誰も手は出せないんだ。私がどうして検事になったか分かるか?合法的に人を潰せる「本当の力」が持てるからだ。だからお前も「本当の力」を持て。」
「その「本当の力」を得るためにナンバーズを作った、と?」
話を聞いた勇の問いに早乙女が答える。
「少なくともこの学校では私に勝てる奴はいません。私が月に54万稼いでいると言っても誰も信じないほどです。面白いと思いませんか?負け犬共は自分の理解の範疇を超えたことは、信じようともしない。現実を受け止められないんですよ。」
「負け犬はお前だ。卒業したらお前に何が残る?せいぜいバイトをするくらいだろ。」
「みんなそうやって自分を安心させるんだ。所詮不良は卒業したらバイトくらいしか出来ないだろってね…。負け犬は社会に出ても負け犬で居続けるってことを認めないと。」
「なんだと?」
「私が中学の時スイミングに通っていたのですが、負け犬達はその時もことあるごとに講師に金を渡していました。面白いと思いませんか?月謝とは別に、勝手に金を集めて渡す。これ以上の愚行がありますか?」
早乙女の言う、"負け犬は社会に出ても負け犬"を象徴するエピソード。話はさらに続いた。
「負け犬はいつだって渡す側なんですよ。一生そうやって暮らしてきたから、その生き方しかできないんです。」
「それで?」
「君が勝ち組として生きていけるようにしてやると言ってるんです。高い場所から庶民を見下すほどいい景色はありません。しかも君は中卒でしょう?このままじゃろくに就職だってできない。この国は学歴社会です。数人の例外を見て安心するほどバカじゃないでしょうし、君がこの国で出来ることといったら君の父親のように力仕事くらいです。」
他人の家族まで平気で蔑む皮肉に溢れた早乙女の言葉に、傘の柄を持つ勇の手に力が入る。そんな勇の怒りに構うことなく、早乙女はなじり続けた。
「どうせ今もうちから貰ってる示談金で生活してる分際で。」
この一言に、勇の怒りが沸点を越えた。先程から力が入る傘の柄を持った勇の手は、ついに柄を握り潰した。だがここで即座に飛び掛かるほど、勇は単細胞ではない。喧嘩を熟知する勇だからこそ、怒りに我を忘れて飛び掛かることほど危険なものは無いことを分かっているのだ。
「今すぐにでもお前を倒すことはできるが、俺もお前に機会をやる。」
「なんだと?」
負け犬の遠吠えを嘲笑うかのような見下した顔の早乙女に、勇は言い放った。
「反省する機会。」
相変わらず人を見下したような薄ら笑いを浮かべる早乙女を、今度は勇が煽る。
「お前は自分が絶対間違ってないと思ってるだろ。こんな世間が自分を腐らせた。そんな風に自分へ言い訳しながら生きてるんだろ。」
「コイツ…。」
にわかに気色ばんだ早乙女に、勇はさらに続けた。
「どんなに世間が腐りきってても、真っ当に生きてるヤツらがバカらしく見えても、テメェがその上に立つ権利なんざねーんだよ。」
「…。」
「フランス革命で、市民たちは王と王妃を処刑した。」
「フッ、ずいぶん博識ですね。」
「いつまでもトップの座にいるつもりだろ?今度はテメェが引きずり下ろされる番だ。」
フランス革命の時の市民たちのように。理不尽な横暴を、絶対に許しはしない。溢れんばかりの憎悪を湛えた目で睨みつけながら、勇は皮肉たっぷりに吐き捨てた。
「それから…。テメェの家族が死なせたうちの親父への示談金400万円。ありがたく使わせてもらってるよ、クズ野郎‼︎」
「なんの為に呼んだんだ?」
勇が去った後の屋上で、佐川が早乙女に尋ねた。結局話は決裂した。こうなることは始めから分かっていたことだ。早乙女は佐川の問いに冷淡に答えた。
「哀れな負け犬に最後の同情の機会を与えようとしただけです。始めましょう。」
遠藤の携帯が鳴る。内村の携帯も鳴る。戦いは、静かに動き出した。