復讐の毒鼓 第89話
鈍く重い痛みが、勇の全身にのしかかる。目の前に立つ早乙女の姿がボヤけて重なる。朦朧とする意識の中で、勇は虚空に向かって拳を突き出した。
「とうとう壊れましたか…。何してるんですか?」
「距離感が…ここが…こうで…。」
勇は早乙女の声が聞こえていないのか質問には答えず、虚ろな表情で突きの練習を繰り返す。傍目から見ても意識の有無が怪しく、瀕死の状態にも関わらず戦うことを止めようとしない勇の様子に早乙女の苛立ちが募る。
「マジで目障りなんだ!クソが!」
放たれたパンチを、勇が掴もうと手を伸ばす。しかしその手は虚しく宙を泳いだ。パンチを掴んでからの関節技を見抜き、早乙女は出した拳を掴まれる直前に引いたのだ。そして、もう一方の手で放ったパンチが再び勇の顔を襲う。
バゴォッ!
「どうやら君は関節技を得意としてるみたいですが、私には通用しませんよ。残念ですね。」
ダメージと疲労にがっくりと項垂れる勇を見下ろし、早乙女は冷淡に言い放った。
仁と愛の足元には大勢のナンバーズ達が倒れている。ちょうどその頃、入口に立っている木下のそばに2台のバイクが停まった。先程倉田に声を掛けられた太樹達だ。彼らは着くなりバイクを降りると、慌ただしく階段を駆け上がっていく。少し遅れて到着した倉田に、木下は呆れ顔で訊いた。
「機動隊って…コレ?」
「いいや、勇敢な市民だ。」
そう答える倉田は、なぜか自信ありげな笑顔を浮かべていた。
「とりあえず君を潰して、その後君の仲間達も潰します。本物の強さってものを教えてあげましょう。」
悠然とそう言う早乙女に、勇は中指を立ててみせた。くたばり損ないの男の挑発に、早乙女の苛立ちがピークに達する。
「この下層民風情が!」
再び相対する2人。挑発に苛立っていようとも、早乙女の冷静な戦いぶりは変わらない。
(関節技だけ気を付ければ…。コイツは今、まともな状態じゃない。)
ゴッ!
突如として、早乙女の顔に強烈なパンチが炸裂した。予想だにしない強打に早乙女は肝を潰した。
(なっ…なんだ、今のパンチ…。)
「誰が…一体誰が、俺の特技が関節技だと言った?」
今度は勇が悠然と見下ろす。何があっても、お前になど負けはしない。勇のそんな宣戦布告に、ついに早乙女がキレた。
「上等だぁっ!」
勇の顔面にパンチを放つ。勇はそれを紙一重で避けながらその肩越しに奥襟を掴むと、脇腹に拳を叩き込む。だが、早乙女も負けじと勇の脇腹にパンチを叩き込んだ。そこからは我慢比べだった。戦略も技術もかなぐり捨てた2人は、足を止めて力の限り殴り合った。殴り合いは暫く続いた。だが我慢比べとなると、元々ダメージを抱えていた勇の方が分が悪い。早乙女は前のめりに体が泳いだ勇の首を抱えると、足を引っかけて倒した。
「ほかのみんなは呼ばなくてよかったかもね。」
呻き声を上げながら足元に転がる男達を見ながら愛が呟く。総勢70人以上いたナンバーズ達は愛の途中からの加勢により、2人の手によって壊滅していた。
「さて、あっちはどーなってっかな。」
一段落といった具合に仁が送った視線の先では、勇の腹の上に早乙女が馬乗りになって右手で首を抑え込んでいた。
「いくら足掻いてもここまでだ。貴様は私に絶対に勝てない!貴様はいつまでも負け犬なんだ‼︎だから、もうくたばれぇ‼︎」
早乙女は空いている左拳を振りかぶった。身動きの取れないマウントポジションからのパンチ。覆しようのない絶望的な状況。だが絶体絶命と思われたこの瞬間、勇は身をよじって早乙女のパンチを躱した。拳を振りかぶるときに僅かに腰が浮いた隙を勇は見逃さなかった。よけ様、勇は出来得る限り体を起こし、右手で早乙女の奥襟を掴む。その手を力一杯引いて倒すと、今度は勇がマウントポジションを取り返す。両手にはしっかりと早乙女の左腕を掴んでいた。
「負け犬に…引きずり下ろされてみやがれ。」
バキバキッ!
「ぎぃやああぁぁぁ‼︎」
腕を折られた早乙女の断末魔の叫び声が、降りしきる雨の夜空に響き渡った。