復讐の毒鼓 第84話
「アイツは…この前俺がヤッたヤツ…。」
仁の登場に佐川が顔色を変える傍らで、早乙女はその招かれざる客を早急に片付けるために武器を取るよう全員に指示した。皆思い思いの武器を取る中、右山が一同の動きを一旦制した。
「ちょっと待ってくれ。」
「どうしました?」
「アイツは俺に任せてくれ。今回は最初からレスリング技でぶっ潰す…。」
以前大道寺に場を設けてもらった時の喧嘩では、佐川の横槍に助けられた。右山としてはこれ以上ない、雪辱を果たす機会である。早乙女は快く右山の意思を汲んだ。
「分かりました。任せましたよ。」
「当然だ。」
その雪辱を果たすべき憎き相手は、這いつくばる勇を介護でもするかのように優しく立たせると耳元で一言呟いた。
「女の子たちは無事だから、心配いらねーぞー。休んでな。俺っちが時間稼ぎしてるからよー。」
「かかってこい!」
右山の吠え声が戦いの火蓋を切った。ぶつかり合う2人。互いに相手のベルトを掴む。右山はそのまま投げを打とうと手に力を込めた。
(俺の全力で…持ち上がらない…?)
右山は先程の言葉通り、全力で仁を潰しにかかった。始めからレスリング技で攻めれば負けるはずがない。しかし右山の手に伝わる仁の身体の感覚は、まるで巨大な岩のようなものだった。どれ程力を込めようと、ピクリとも動かない。その感覚は彼の自信と尊厳を根底から崩壊させた。
仁がその手に力を込める。右山の巨体は軽々と持ち上がった。浮き上がった右山の身体をうつ伏せの状態で地面に叩きつける。そしてすぐに腰に膝を乗せ、後頭部の髪を掴むと顔を何度も地面に叩きつけた。
「やめ…も…やめ…。」
右山の顔は瞬く間に血で赤く染まっていった。激痛にもがきながら、歯の折れた口からやっとの想いで懇願の言葉が漏れ出す。だが仁の猛攻は止まらない。
「まだまだ…だろっ!」
仁は一層強く、彼の顔を地面に叩きつけた。
「デリバリーやってるから土地勘はあってね。これからすぐ行きます。」
木下からの連絡を受けた愛は現場への道すがら、浜田ジョーに電話をした。
「もしもし、ジョー?うん、こないだ早乙女が勇のこと嗅ぎ回ってる時知らんぷりしろって言ったよね?」
『あぁ、あの時か。みんな黙ってたのに、番外がなんか怪しかったんだよな。アイツ、ガキの頃勇に殴られてたから根に持ってんのかもな。』
「そうなんだー。僕の友達のこと知ってるよね?」
『どの友達?』
「よくつるんでた「退学組」の——。」
『ああ、あいつらなー。知ってる。』
「ちょっと集めてくんない?急用ができてさ。」
旧友の応援要請に、ジョーも乗り気になる。
『どんとこい!んで、どこ?俺も行くわ。』
愛としても、快く協力してくれようとするジョーの気持ちは嬉しかった。だが愛はジョー本人の協力を仰ぐために電話をした訳ではなかった。
「いいよ。退学組のことは退学組でなんとかするから。」
『そんな寂しいこと言うなよ。』
「この件…在学組が絡んだら退学になるレベルだ。だから外れてて。場所は…。」
旧友を気遣う愛のバイクは、降りしきる雨の夜道を修羅場に向かって駆けていく。
「行け!ぶっ潰せ!」
右山を潰された早乙女が鬼の形相で発した命令で、泰山の男達が一斉に仁に向かっていく。
「かかって来いやぁ!」
鬨の声を上げながら押し寄せる大軍に、仁は1人立ち向かった。仁が手近な者から殴っていくと、瞬く間に数人が吹っ飛んだ。仁は己を鼓舞するかのような雄叫びを上げた。
「俺っちが…天下の雷藤仁様だゴルァアア!」
復讐の毒鼓 第83話
「3年の番だな。息の根止めてやるよ。」
2年生達の番が終わり、いきり立つ3年生達。しかしその3年生達に命を下す前に、早乙女は意にそぐわなかった者の名を呼んだ。
「その前に…南原光良。内村清隆。」
「はい!」
2人は口を揃え、慌てて返事をする。早乙女は彼らを問い詰めた。
「2年が順番に10発ずつ殴る時、南原は適当に殴るフリをし、内村は指一本触れませんでしたね。」
「ぼ…僕は…殴りました。」
「そ…その…立ってればいいのかな…と思って…。」
「そうですか?見てませんでした。やり直しです。」
なんとか言い逃れをしてやり過ごそうとする2人だったが、やはり早乙女の目は誤魔化せない。やり直しの命令を聞いて思わず俯く2人を、早乙女が放置するはずがなかった。
「六田。」
「ん?」
「あの2人、片付けて下さい。」
「くだらないことはもうやめろ。」
六田が内村達の前に立とうとしたその時、勇は蹲ったまま声を上げた。
「やめろ…。俺だけ…俺だけやればいいだろ…。」
「他人の心配してる暇があったら、自分の心配でもしたらどうですか?」
既にボロボロの勇をなおも冷酷にあしらう早乙女に、勇は今出来る精一杯の抗議をした。
「他人じゃねぇ…。仲間だ…。」
南原は、勇のこの言葉に目頭が熱くなるのを感じた。そしてそれは、内村も同じだった。2人にとって、最初の接触は最悪だった。喧嘩で完膚なきまでに叩きのめされ、脅されて始まった関係だった。だが、それ以降はどうだったか。勇は2人を見下したり踏みにじるような真似は、一切しなかった。裏切りを許してくれたことさえあった。最初こそ自分を屈服させた憎き相手だったが、行動を共にするうちに人柄というのは見えてくるものだ。勇は普段、どちらかというと淡白な方だ。だが、情には厚い。そして何より、強大な力にも屈することなく立ち向かう熱い心の持ち主だ。それはさながら、自分達が幼い頃に憧れたヒーロー像そのものだった。2人はそんな勇の人柄に惚れたのだ。いくら早乙女にやり直すように言われようとも、今の2人に勇を殴ることなど出来るはずがなかった。だがそんな2人の熱い想いも、荒み切った早乙女の心には微塵も響かなかった。
「これはこれは、お涙頂戴の感動モノですね。あと5分ですよ。早く選ばないと。」
「…。」
「六田。何してるんですか?」
「神山大二郎は…!」
早乙女が再び六田をけしかけたその時、勇が意を決したように大声を上げた。
「ま…負け犬だ…。は…母親は…ば…ばい…。」
血が滲むほど力強く握り込んだ手が震える。言葉が詰まる。その続きの言葉を、勇はどうしても口にすることができなかった。言えるはずがない。自分を産み、ここまで育ててくれた親を侮辱する言葉など…。勇は握り込んだ拳をそのまま地面についた。
「わ…悪かった…。俺が悪かった…。」
「本当にそう思うなら、母親は売女だって言いなさい。そしたら許してやりますよ。」
「オルァ!このクソ共がぁ‼︎」
早乙女がこの世のものとは思えないほど歪み切った薄ら笑いを浮かべたその時、勇を取り囲む人だかりの向こうから凄まじい怒号が鳴り響いた。一同がその声に振り返る。そこには、鬼の形相で睨みつける仁の姿があった。
近江はなんとか脱出する方法は無いかと、まだ屋上から下を見つめていた。そこへ江上を連れた愛が通りかかる。
「江上先輩!」
囚われていたはずの江上がいた驚きも手伝って近江が大声で叫ぶと、2人は声が聞こえた方を見上げた。
「子ども同士の喧嘩に国家機関を動かすのもおかしな話でしょう。うちの息子にも非があるのは認めますが、父親だからでしょうか。気が進まなくてね。」
「…と言うと?」
早乙女の父親の言質をはかりかねて水谷が訊くと、父親は今のこの状況において信じ難い言葉を口にした。
「息子はうちでしっかり叱って教育するので、この辺でやめときませんか?」
「どうせ未成年ですし、大したことないはずですよ、先輩。」
父親を庇うような中森の言葉に対し、水谷は冷淡に言い放った。
「私は神山秀殺害の主犯格として刑事起訴するつもりですが。」
「まだ言うかね…。いつまでもそんなこと言ってると、この事件の担当を外れてもらうしかなさそうだな。」
「なるほど…。この話し合いも裏取引ですね、結局は。」
水谷は心底辟易したように目を伏せると、溜め息のように一言呟いた。その溜め息に、中森が血相を変えた。
「これ、水谷君!何を言うか…。裏取引だなんて!」
「ハハハ。まだ新人だから分からないでしょうが、これからこんなことは腐る程あります。君も経歴に傷がつくのは嫌でしょう。私が何を言ってるか、分かりますね?」
これは脅しだった。一本気に悪と戦おうとする水谷に法のグレーゾーンが人脈、経験を振りかざし、結局は力づくで抑えにかかったのだ。しかしこれに屈するほど水谷は甘くはない。彼女は先程テーブルに置いた携帯を裏返し、静かに言った。
「お言葉ですが…経歴に傷がつくのはお2人の方かと。」
「…!」
露わになったその携帯の画面には、マイクの画像が大きく映し出されている。それは、ボイスレコーダーが起動していることを示していた。この部屋に入ってから話された会話を、水谷は全て録音していたのだ。
「私には後ろ盾がありませんので、お2人の名誉を担保にさせていただきます。それでは…私はこれで。」
愛は江上に続き、近江と遠藤を救出した。
「この人達…信じてもいー人達?」
一時は人質にされていた江上を任せる以上、下手な者に任せる訳にはいかない。念の為に愛が確認すると、江上は黙って頷いた。愛は江上を信じ、近江に江上を託した。
「じゃあ悪いんだけど、家まで送ってくれますか?僕はこれから少し忙しくなりそうで。」
「あの…どちら様で…?」
近江にしても、愛とは当然面識がない。自分を助けてくれた見知らぬ男である愛に尋ねると、愛は不可解な名を口にした。
「勇の友達。」
「勇?」
「あ、そっか。まだ知らないのか。学校では神山秀で通ってるヤツ。僕らの間では毒鼓って呼ばれてて有名だった。」
「毒…鼓?」
この辺り一帯で最強の名を恣にした伝説の不良の名は、学区が違うとはいえ近江と遠藤もその武勇伝と共に強烈に記憶していた。しかし復学した、ただのパシリと思っていた男が、まさか伝説の不良だったとは…。2人はその名を聞いて、ただただ驚愕した。
復讐の毒鼓 第82話
水谷検事の元へ呼び出しの電話が入る。受話器を置き、呼び出した部長の元へ訪れるべく立ち上がる水谷の心中は穏やかではなかった。
「部長、お呼びでしょうか。」
検事部長の部屋へ入った水谷の目に留まったのは、一人の見知らぬ男だった。水谷は自分の携帯をテーブルの上に静かに伏せて置くと、すぐに彼の素性を訊いた。
「こちらの方は…?」
「どうも。早乙女検一です。」
「我々の先輩だよ。今は弁護士になられたが、元検事でらっしゃる。」
男の簡単な自己紹介を、検事部長の中森が補足する。
「そんな方がどうして私に…?」
「単刀直入に言いましょう。早乙女零の父親です。」
このタイミングでの父親の来訪に、水谷は動揺を隠せなかった。
「どうしたんですか?」
怒りのあまり思わず受話器を叩きつけた倉田に若手刑事が声を掛けた。
「ガキ共が数十人規模で喧嘩してるみたいで機動隊の出動申請出したが、ダメだった。こりゃ誰かが裏で一枚噛んでんな。」
倉田は苦虫を噛み潰したような顔でタバコを咥えた。
焼却炉の倉庫前では愛と四宮が戦っていた。四宮は愛の顔へパンチを放つも、彼の素早い動きを捉えられない。そのパンチをかいくぐった愛は、四宮の喉元に奪ったナイフの柄を押し当て、それをもう反対の手で引っこ抜いた。
「ゲホッ…!クッ…!」
喉を抑えて咳き込む四宮。そんな彼の目の前まで顔を近付け、愛はさらに挑発した。
「喧嘩…向いてないみたいだね?大丈夫?」
「んだと⁉︎ふざけんな!」
喧嘩の相手に同情されることほど屈辱的なものはない。完全に逆上した四宮は、愛に向けて拳を振り回した。だが冷静さを著しく欠いた男の動きなど、愛にとっては一時停止中の動画を見ているようなものだった。
予期せぬタイミングで拳に物が当たると、いかに握り拳といえどその衝撃に耐えられない。発射直後のまだ握り込まれていない拳に愛のナイフの柄の攻撃を喰らった四宮は、あまりの激痛に思わず後ずさった。
ドスッ!バキィッ!
手の激痛に気を取られた四宮は、その隙に腹、頭へと続け様に放たれた愛の蹴りに成す術なく沈んだ。
「さっき警察の友人から連絡がありましてね。」
「警察の友人?」
水谷は未だに早乙女の父親が来た理由、彼の言いたい事を理解しかねていた。
「ええ。まぁ水谷検事もこれからそうなると思いますが、この仕事を長くやってると警察、検事、政治家と、色んなとこに知り合いが増えましてね。」
ここまで聞いた水谷の頭に、不穏な疑惑がよぎった。
「じゃあ機動隊の出動が中断されたのも…。」
「いやいや、まさか私風情が…。ただ私の友人が保留にしてるだけです。」
「早乙女さん、先輩なんですから敬語はやめて下さいよ。」
中森が口を挟むと、早乙女の父親は少しくだけた口調で水谷との距離を縮めにかかる。だが水谷は、むしろこれまで以上に鋭い眼差しを以ってこれを拒否した。部屋の空気がにわかに張り詰める…。
豪雨の中、屋上で遠藤が目を覚ます。佐川の暴行に、彼は今まで気絶していた。まだ少し痛む顔に手を当てがいながら振り返ると、いつになく萎んだ近江の背中が見えた。
「なんだ?どーなってんだ?」
「どうやらここに閉じ込められたみたいだな。屋上のカギが閉まってる。」
その萎んだ背中に遠藤が問うと、背中に負けじと萎んだ表情で近江が答えた。
「他の奴らは?」
「神山狩りだな。外が落ち着いたら、俺たちもタダじゃ済まないだろうな。」
「だから言ったろ!会長を敵に回すなって…。」
先を憂えて一層萎んでいく近江に遠藤が言うと、近江は大きな溜息を一つついて立ち上がり、淵まで歩いていった。
「何してんだよ。」
「ここから飛び降りられるかなと思ってな…。」
「バカが、骨折れるわ。」
「神山1人がやられんのをただ見てる訳にはいかないだろ。」
たった1人で戦う神山を見殺しにする訳にはいかない。屋上の淵から下を見下ろす一本気な近江に、遠藤が厳しい現実を突きつけた。
「オレ達が人の心配してる場合かよ。元々無理ゲーだったんだよ。」
「無理ゲーだと…?」
遠藤の言葉にも視線を逸らさず下を見続ける近江の目は、まだ諦めてはいなかった。
愛が焼却炉の倉庫のドアを開けると、こちらを見る江上の姿があった。なんとか、無事に救出することができたのだ。
リンチ現場となっている公園の入り口に一台のバイクが停まった。
「降りて!ここからは走るから!」
弾かれるように勢い良く走り出す木下を仁が制止した。
「場所だけ教えておめーは帰れよー。女の子にゃ危ねー。」
「さっきあたしの実力見なかったの?」
雨合羽を脱いで気合を入れる仁に木下が抗議すると、仁は正直に答えた。
「もち、助けはありがてーけど、正直邪魔なんよ。」
「…。」
「出前野郎にここの場所教えといてな。」
私は、戦える。今度こそ、一緒に戦う。もう誰も死なせない。そんな想いでここまで来た木下だったが、想いの強さだけではどうにもならないものがあることを木下は間近で見続けてきた立場でもあった。自分の無力さが身に染みる。歯痒そうに見つめる木下に一つだけ頼み事をすると、仁は長く伸びたその髪を結わえながら公園へと続く階段を登っていった。
復讐の毒鼓 第81話
2年生の、無防備かつ満身創痍の男への暴力が始まった。これまで喰らった攻撃は160発。そのダメージで既に限界の勇は、たった一発のパンチで膝をついた。
「たった一発でアレかよ。」
「よえーじゃん。」
リンチは彼らにとって、祭だった。祭りの熱に当てられたナンバーズの男達は、相手が既に限界を越えていることを判断する能力すら失っていた。早乙女が勇を呼び寄せると、1年生達は早乙女が座るためにベンチを自らの上着で拭き始めた。
「オラ、とっとと動けや。」
たった数m先で手招きする早乙女の元へ歩いて行く力すら残っていない勇を、五十嵐が蹴り飛ばす。歩けないなら這って来いと言われれば、その通りにするより他なかった。ようやく辿り着いた勇に、早乙女は再び無慈悲な言葉を浴びせ始める。
「何か勘違いしてるみたいですけど、7時30分まで耐えたら2人とも助けるってゲームじゃないですよ?」
「…。」
「君がこうやって耐えてるだけだと、2人ともおしまいだ…。君のせいでね。だからとっとと1人を選んだらどうですか?」
早乙女は目の前で蹲る勇の頭に、吸っているタバコの灰を落としながら続ける。
「まったく…。無駄ですよ、必死に頭を働かせても。自宅の壁にもなんだか色々書いてましたね。肩を痛めたフリもしてみたり。君なりに精一杯知恵を絞ってみたのかも知れませんけど。どうですか?ここまできた感想は。君の作戦も計画も無駄だったってことが分かりましたか?下らない正義感振りかざして、得たものどころか破滅寸前だ。これで分かりましたか?怒りも、復讐も、正義も…。」
悔しさのあまり、砕けんばかりに奥歯を食いしばる勇を、早乙女はさらに蹂躙し続けた。
「勝ち組の権利なんだよ。」
「…!」
「負け犬のくせに正義?復讐?笑わせてくれますね。お陰で他人まで危険に晒して。私を倒そうとした?社会も同じですよ。負け犬達がデモや被害者の会などと言って集まってみても、何の意味もない。ただ弱い者同士、傷を舐め合うだけ。周りには自分の味方しかいないから、それが現実だと錯覚してしまう。それで結局は負けるんだ。」
「…。」
「君もそうだったことでしょう。親衛隊を下から1人ずつ倒して、もしかしたら本当に出来るかも、そんな夢を見ていたはずです。そろそろ元いた場所に戻る時ですよ。負け犬の犬小屋にね。」
徹底的に蹂躙するその決め台詞と共に、早乙女は吸っていたタバコを勇の頭で揉み消した。
「先輩…あそこ…。」
「ん?なんだ?」
焼却倉庫の前で携帯を見て時間を潰す四宮の前に現れた1人の男が、出し抜けに尋ねた。
「江上さん、ここにいる?」
「なんだテメーは。」
不意に現れた愛の質問に、一同が殺気立つ。その様子に、愛は安堵の吐息を漏らした。
「ふぅ…よかった。その様子だとここにいるみたいだ。」
「あ?なんだテメー。」
殺気を孕む四宮の問いに、愛は穏やかな笑顔で答えた。
「江上さんを取り戻しに来た。」
「んだと…?オイ!何してんだ。とっとと行け!」
「はい。」
四宮にけしかけられた手下達の手には、禍々しく光るナイフが携えられている。しかしそれを見てなお表情の変わらない愛が穏やかに言った。
「ソレ、置いた方がいいよ。怪我するから。」
「なに言ってんだ?怪我させる為に持ってんだよ!バーカ!」
そう言ってナイフを振りかざす手下の手に、愛の拳が突き刺さる。
「え…?」
一瞬の出来事だった。ナイフを持つ手に拳を刺した愛の手は、瞬く間にそのナイフを奪っていた。そのナイフの刃を丁寧に柄にしまいながら、愛の得意の挑発が始まった。
「危ないからしまっとくよ。どんなにクソでも、家に帰ったら誰かの大切な息子だもんね。あ、それから僕、本当は弱いヤツには先に攻撃しないんだけど、今は時間ないからごめんね。」
「コイツ…!ふざけやがって!」
手下達が一斉に飛びかかる。だか愛の俊敏な動きについて来られる者は一人もいなかった。先程奪ったナイフの柄で目の前の男の喉を突く。後ろの者には肘打ち。そのまま正面の男の顔面に強烈なパンチ…。一切の無駄がない愛の動きを前に、四宮の手下達は瞬く間に全滅した。
「俺の前で調子乗ったこと、一生後悔させてやるよ。」
「へー、そう?」
愛の尋常ならざる強さを目の当たりにしてかつてない程の殺意を漲らせる四宮を前に、愛は穏やかな笑顔を崩さない。
復讐の毒鼓 第80話
「なんの力もない貧乏人が子供を作ることは理解に苦しみます。どうせ産んだところで可愛いのは最初だけで、あとは親同様負け犬になる。」
早乙女は勇の髪を掴み上げて、ひたすらなじり続ける。勇がどれ程睨みつけようとも、人質を取られて手も足も出ない男など、もはや赤子同然だった。
「そう。そうやって睨むことしか出来ない。死ぬ程悔しくても、ただ我慢。死ぬ程悲しくても、ひたすら我慢。出来ることといえばせいぜい安い酒でヤケ酒でもする負け犬。君もただただ我慢しなくてはいけない人種だってことを教えてあげてるんですよ。生まれながらに人の人生はすでに決まってるんです。」
早乙女はなじり放題なじるとようやく掴んでいた髪を離し、立ち上がった。そして無慈悲な命令を下した。
「2年。順番に10発ずつ。」
血気盛んな男達が、にわかに殺気立つ。
「雨降って場所はせめーし、相手も多いからちょっちだりーかも。」
番外の手下達を一掃した仁は、腰に手を当てて相変わらず悠然と構える。残るはただ一人。後がなくなった番外を、仁は煽った。
「カッコつけてねーでさっさとかかって来いや。疲れたわ。」
「テメー…覚悟しろ。」
「オメーがな。」
相対する2人が互いに攻め入る。番外は仁のパンチを避け様その腕を掴み、そのまま背負い投げを打った。
「こっちは柔道3段なんだよ。だてに学校で番張ってる訳じゃねーんだ!」
「ほー?オイ、男勝り。江上さんの居場所見当つく?」
路上で打った投げ技も効かないのか。背負い投げを決めて得意になる番外など眼中に無いかのように仁が訊くと、木下が答えた。
「体育館か焼却炉の倉庫だと思う。」
「ワンパターンだなー。」
その答えを受けた仁は木下に自分の携帯を放り投げると、一つ指示を出した。
「履歴に"出前野郎"っているからよー。電話かけて江上さんのいそうな場所言ってやって。俺っちはコイツと決着つけっから。」
「余裕ぶっこいてられんのも今のうちだぞ。」
番外の声に、ようやく仁が向き直る。
「俺っちが?そりゃオメーだろーよ。」
「うおお!」
番外が雄叫びを上げて威勢良く突進する。だが一瞬早く番外のベルトを掴んだ仁の腕が、同じく仁を掴みに来ていた番外の手を同時に抑えた。
「お?」
仁がベルトを持つ手に力を込めると、番外の巨体があっさりと持ち上がった。投げ技主体の格闘技である柔道の有段者の番外にとって、こうも簡単に体を持ち上げられるなどにわかに信じ難い事だった。番外は慌てて仁の頭や背中に肘打ちを何度も入れる。しかし腰を抱えられて死に体になった男の攻撃など、仁にとっては蚊が刺すほども効かなかった。
「お?じゃねーんだよ!ほらよっと!」
仁は番外を持ち上げたまま軽々とその巨体を横に倒すと、頭に手を当ててそのまま地面に叩きつけた。
「電話したかー?」
早々に番外を片付けた仁が、電話を耳に当てる木下に訊く。
「アンタ待てないワケ?見りゃわかんじゃん。今かけてんだよ。」
「キツーイ。」
泰山高校に向けてバイクを駆る愛の携帯が鳴る。
「もしもし、仁。」
『焼却倉庫か別館の体育館に行ってみて。江上が捕まってるはずだから。』
(女の子…?)
予想に反して電話の向こうから聞こえた女の声に愛が戸惑っていると、その声の主はヒステリックに愛を焚き付けた。
『返事は?早く!はーやーく!』
「あ…はい。」
(仁が言ってた弟嫁…?気ぃ強…。)
愛は心の中で呟きつつも、今得た明確な目的地に向かってバイクのスロットルを開けた。
電話を終えた木下が、仁のバイクに跨る。
「早く乗って。」
「あん?オイオイ、オメーが後ろ乗れよ。雨だし危ねーから。」
紳士的な気遣いを見せる仁に、弟嫁が強気なセリフを叩きつける。
「つべこべ言ってないで早く乗って。後ろから案内すんのもだるいから、あたしが運転すんの。しっかり掴まってな。」
「男女逆転だなこりゃ…。男のプライドってもんがあんのに。」
「掴まんな。」
渋々タンデムシートに跨る仁に木下がひとこと言うと、すぐに仁の体が後ろに振られた。
「え?」
「掴まれって言ったでしょ!」
雨が降りしきる夜の街を、バイクは全速力で駆けていった。
復讐の毒鼓 第79話
「合コン中ー?」
「雷藤…仁…。」
突然の出現に泡を食う番外に、仁は直球で木下を奪いにかかった。
「わりぃんだけど、あそこにしゃがんでる緑の子、俺っちがお持ち帰りするわー。気に入っちったわ。」
「お前、ここにいるヤツ等見えないのかよ。」
「うん。見えねーわ。」
大人数をひけらかして凄む番外だったが、その程度で怯む仁ではない。集まっている番外の手下達の真ん中をズカズカと歩いていくと、その先で緑色の雨合羽を着た女に声を掛けた。その女は、こんな状況でも恐怖や諦めを微塵も顔に滲ませていない肝の据わりっぷりである。
「こんな状況でも全然ヨユーじゃん。なんだその目つき。」
「うっさい。」
「行くぞ。」
「止めろ!」
番外の一声で手下達が一斉に構える。そんな手下達など眼中に無いと言わんばかりに、仁は番外を煽った。
「番外ー。お前んとこのヤツら、だいぶケガすると思うけどいーの?」
「お前は死ぬけどいいのか?」
「行こーぜ。」
番外の言葉など聞く気がない仁が木下に声を掛けると、手下の1人が仁に殴りかかる。だが仁はそのパンチを易々と掴むと、その手をそのまま握り潰した。
一同唖然とする程の、まさに怪力。人の骨を軽々と握り潰すその怪力に、番外をはじめ全員の身体が固まった。
「こっから脱出すっからよー。俺っちの後ろ離れんなよー。」
「分かった。」
「うるぁああ!」
固まっていたのは、一瞬のこと。手下達は一斉に仁に向かっていった。
バゴォッ! バキィッ!
仁の剛腕が炸裂する。仁が手近な者から殴ると、2人の手下がまるで放り投げられた座布団のように軽々と吹っ飛んだ。圧倒的な力を前に狼狽する手下達に、かかって来いと言わんばかりの不敵な笑みを浮かべる。
「1年。」
「ハイ!」
「1人10発ずつ。」
午後7時15分、早乙女は残酷な命令を下した。その命令に従い、1年生達が次から次へと勇に暴行を加える。何人かが順番に暴行を加えた後全員でやるよう早乙女が指示すると、1年生達は寄ってたかって勇を暴行した。
「10発ずつやりました、先輩。」
「いいでしょう。ここにいる1年は16人。つまり160発。無防備な状態で160発食らっても、人って死なないんですね。」
這いつくばってうごめく勇に、早乙女は冷酷な言葉を浴びせる。
「早く決めた方がいいのでは?江上か木下か…。このままだと2人とも助けられませんよ。」
「クソ…やろ…汚ねぇぞ…。」
「そう思うなら内村を倒せばいい。簡単ですよ。もしくは私に挑むか。でもそしたらどうなるか…。分かりますね?」
早乙女は勇の顎を足で掬いながら言った。
「今すぐにでもボコボコにしたいのに出来ない。足りないおつむで私のとこまで来たのに手出し出来ない気分はどうですか?死ぬ程悔しいでしょう。これが私と君の違いです。私のとこまで来れれば潰せると思っていたでしょうけど…。」
早乙女は勇の目の前にしゃがむと、彼の髪を掴み上げて目一杯ドスの効いた声で吐き捨てるように言った。
「根本的に格がちげーんだよ。」
復讐の毒鼓 第78話
午後7時10分。番外の知らせを受けた早乙女は佐川に時間を訊くと、その電話ですぐに指示を出した。
「7時30分まで何の連絡もなければ、木下千佳子は好きにして下さい。写真だけお願いします。」
何の電話だったか問う右山に早乙女が答える。
「番外からです。木下を確保したと。」
「!」
2人の会話を聞いた勇の顔色が変わる。絶望が、加速していく。
「面白くなってきましたね。江上のために這いつくばるだけなんて、簡単過ぎると思いませんか?」
その時ちょうど届いた写真を、早乙女は勇に見せた。画面の中で倒れる木下の頭を、何者かが踏みつけている。
「ミッションをもう一つ増やしましょう。君が内村の股をくぐり抜ければ約束通り江上に手出しはしません。ただし木下を助けたければ、内村を殴れ。」
『内村を殴れ』というフレーズに身をすくめる内村など見向きもせず、早乙女は続けた。
「内村を殴れば江上百々、内村の股をくぐれば木下千佳子。どちらかのオンナとしての人生は終わることになります。30分まで時間をあげます。もう1分過ぎたので、残り19分ですね。もし君が変な動きを見せれば、2人の命はないと思え。」
これまでの人生で感じたことがないほどの烈しい怒りに肩を震わせる勇の前で、ナンバーズ達が嗤う。早乙女はさらに追い討ちをかけた。
「3人共無事に助かる方法もありますよ。神山大二郎は負け犬だ。母親は売女だ。100回言ったら許してあげます。」
屈辱感。そして、無力感。早乙女はそれらを勇に徹底的に味わわせる。庶民風情が自分に楯突くな。この上ない侮辱の前にも、人質を2人も取られては、手も足も出ない。やり場のない怒りに言葉にならない声をあげる勇に、さらに早乙女の言葉の刃が突き刺さる。
「今すぐにでも殴りたいでしょう。全部めちゃくちゃにしてやりたいでしょう。でも君は何も出来ない。」
「こんの…ク…。」
「佐川。コイツの口から私を冒涜する言葉が発せられたら、すぐに四宮と番外に電話して下さい。」
悪態をつくことすら許されない。全身を切り裂かれるような悔しさに、勇は拳を地面に叩きつけて叫んだ。そんな勇への早乙女の言葉の刃は止まらない。
「右腕が使えないって演技するのももう忘れましたか?残り時間17分。君が殴られるまであと2分。」
(番外の高校のヤツら…。よってたかってどこ向かってんだ?)
木下を迎えに警察署付近に来た仁の目に、番外の連れらしき男達の姿が映った。その異様な光景に、緊張が走る。
プルルル、プルルル…
番外が持っている木下の携帯が鳴った。その画面には不可解な名前が表示されていた。
「怪力?誰だこれ。」
「親。うちの親の友達に警察いるから、電話出ないとすぐ通報すると思うけど?」
番外は木下のこの返事について泰山の女子達に確認してみたものの、知る者はいなかった。番外はクギを刺しながら携帯を木下に手渡した。
「ふざけたこと言ったらマジで殺すからな。」
「もしもし。」
『警察署来たけど、お前いねーじゃん。』
電話口から聞こえる仁の声に、木下は父親と話す体で話し始めた。
「あ、パパ?警察の友達に会いに警察署に来てるって?あたしさっきまでそこにいたよ。」
「余計なこと言ったら殺すぞ。」
話し中の木下に、番外は親指で首を掻っ切る仕草でクギを刺す。
『パパ?お前番外んとこのヤツらに捕まったん?群がってどっか向かってんの見たし、居場所とか伝えなくていーから、それだけ教えろ。』
「うん、番外の高校の子たちと遊んでる。…うん。後で帰るから。」
「そーだ。いい子じゃねーか。」
電話が終わると、すぐに携帯を取り上げる。
「あたしのこと、どうするつもり?」
「そらお前、とりあえず脱がせて写真から撮るっしょ。」
番外が露骨に卑猥な笑みを浮かべると、手下が後ろから口を挟む。
「いーじゃん。1枚50円くらいで売りさばこうぜ。」
「おー、ナイス!」
ドドドド…
下劣なやりとりを楽しむ番外の元へ、バイクのエンジン音が近付いてくる。
「なんだ?…!」
すぐ側で止まったエンジン音に振り返った番外の目に映ったのは、不敵な笑みを浮かべる仁の姿だった。