復讐の毒鼓 第60話
「ちょい待ち。」
下校中の勇を呼び止める。七尾だ。
「オメーらはもう消えな。俺ちんだけで充分そうだ。」
「え?」
勇と一緒にいた内村達に、七尾が言う。状況が飲み込めずにまごつく2人を、七尾は一喝した。
「失せろっつってんだよ!」
「あ…はい…。」
七尾は内村達を追っ払うと、馴れ馴れしく勇の肩に手を回した。勇は黙って七尾を睨む。
「オイオイ、少しは笑ってよん、仲良いフリしてさー。ビビんなって。」
そうして去っていく2人を、内村達は不安げな顔で見送るより他なかった。2人の姿が見えなくなると、南原が突然啖呵を切った。
「オイ、テメー。早乙女さんに裏で媚びてんのかよ。」
「なんの話だ?」
「俺が知らないとでも思ったか、クソが。俺と神山のことチクって早乙女さんに番長にさせてくれっつったんだろ。」
内村にしても思い当たる節が無い訳ではない。だが南原のあまりに的外れな推測に、内村は溜め息交じりに呟くように言った。
「はぁ…。そこまで考えてよくやるよ。」
「んだと?」
「行こう。向こうで話そう。」
「あ、勇だ。」
仁と愛が、七尾に肩を組まれて歩く勇を見つけた。連れ立って歩く2人に、違和感があり過ぎる。
「あの雰囲気…。」
「仲良しこよしってワケじゃなさそうだね。」
「オメーの喧嘩は見させてもらったよーん。やり手じゃんよ。俺ちんでもビビったぜ。」
喋りながら七尾がタバコに火を点ける。
「あ、喧嘩する前に一服すんの、クセでさ。一本吸い終わるのにどれ位かかるか計ってんのもあるし、その時間内に勝てなかったらプライドがちょっとばかし傷つくもんで。」
七尾の話を聞いている勇の顔には『どうでも良い』と書いてあるようだった。その目には軽蔑の色さえ浮かんでいる。
「喧嘩するたびに計ってるなんて、よほど頭が悪いみたいだな。」
「クックックッ。大人しくしてっからって…。」
七尾の目つきが変わる。
「調子乗ってんじゃねーぞ!」
吸っているタバコの火種を勇の顔へ飛ばす。難なく避けた勇だが、その方向に今度は吸殻が飛んで来る。勇がそれを避けた時、七尾は目の前に迫っていた。
ドゴォッ!
渾身のボディブロー。だが七尾は、自分の拳の先に当たったものを見て顔色を変えた。そこにあったのは勇の腹ではなく、腕だったのだ。
「今の隙に防御したのー?やるじゃーん。」
「やり口が汚いな…。」
七尾の汚い戦い方に、勇は少々苛立っていた。しかし七尾がプライドを持っているのは戦い方などではなかった。
「本当に汚ねぇのは負けるこったろ。ペッ!」
勇の顔に、今度は唾を吐きかける。それを避けた隙に、勇はボディブローを2発喰らった。続け様に、顔に蹴りが飛んで来る。
(コイツ…やり方が…。)
七尾の汚い戦い方に苛立ちを募らせながら
も、勇は七尾の軸足を刈って倒した。七尾は倒れたついでに地面の砂を両手に握る。それを勇の顔に投げつけた。目に入ってはたまらない。勇は投げつけられた砂を腕で防いだ。が、もう一度投げられることまでは予想していなかった。二投目の砂に、勇の視界が奪われる。
「オルァ!」
バキィッ!
目に入った砂に怯んだ勇の顔を、七尾の蹴りが捉えた。
(このクソが…。)
七尾の度重なる卑劣な戦法に勇の怒りが臨界点を越えたその時、七尾の動きが止まった。
「あ?」
七尾の視線の先に立っている男達に勇も気付く。立っていたのは仁と愛だった。
「失せな!」
不本意な見物人を追っ払う。だがその見物人は、思いもよらないセリフを口にした。
「俺ら帰ったら、お前死ぬぞ。俺っちの顔見てちょっとは冷静になっただろ。ソイツが一番嫌いなのが汚いやり口の卑怯者だからな。」
「テメーらなんだ?死にてーのか?」
「だから、俺らに感謝しなって。お前死ぬとこだったのを助けてやったんだから。」
「オメーらのことも後で可愛がってやっから待ってな。調子乗ったこと言いやがって…。まずは神山から…。」
七尾の威嚇など意に介さず、あくまで勇が勝つ前提で話を進める仁に七尾にも火が点いた。しかし、今しがたまでの喧嘩の相手の方へ向き直った七尾の目に入ったのは、相変わらず怒りが頂点を越えている勇の顔だった。その顔はは溢れんばかりの殺意を隠そうともせず、この世のものとは思えないほどのおどろおどろしい形相で七尾を睨みつける…。
復讐の毒鼓 第59話
「夜会おうって言ったじゃん。なんで来たの。」
仁は愛からの電話を受け、すぐさま予備校まで足を運んでいた。
「気になったら我慢出来ない俺っちの性格知ってるっしょ。それにどーせ夜はデリバリーのバイトで時間ねーじゃんよ。」
「まぁね。ど?整備士の塾は。」
「んー、ぼちぼち。どこんちにもパソコンあっから整備士になればまぁ食いっぱぐれはしねーだろーと思って習ってっけど、ソフトウェアの方はさっぱりワケがわかんねーよ。本体の部品交換とかは結構出来んだけどよー。お前の方は調子どー?」
「大検の模試で全科目70点以上クリア。90点越えもあったよ。」
「スゲーじゃん。高卒になるのもそう遠い未来じゃねーじゃん。ここで話すのもなんだし、カフェでも行こうぜ。」
親友との近況報告に花が咲く。お互い、しっかり前を向いて頑張っているのだ。落ち着いて話がしたい仁に、愛は自販機で買ったカップのコーヒーを渡した。
「砂糖にミルクたっぷり。身体に悪いもんが最高。」
仁の皮肉とも取れるセリフをよそに、愛は早速本題に入る。
「あのさ、こないだあの"3人組"と喧嘩した時、早乙女がお前が神山秀知ってるか聞いてたじゃん。」
「あぁ、勇?」
「神山秀って、勇なの?」
仁は以前泰山で待ち伏せして勇と会った時に、制服の名札に『神山秀』と書いてあったことから"神山秀"が勇の本名なのかと思っていた。
「本当に?なんか辻褄が合わないような…。」
「なにが?」
「ジョーが来て教えてくれたんだけど、早乙女が神山秀のこと調べてるんだってさ。ジョーは僕たちとつるんでるのが神山秀だと勘違いして僕んとこに来たみたいだけど。」
「ふーん。早乙女が嗅ぎ回ってるワケね。」
「毒鼓って勘づいてるんじゃないのかな。」
そんな話をするうち、仁は心底うんざりした顔でボヤいた。
「ったく…。心入れ替えて勉強しようってヤツ、放っといてやればいーのによー。うぜーヤツ。」
「こっちのみんなにも、早乙女には黙ってろって言った方が良さそうだね。」
「あぁ。皆の口封じのついでに、そろそろ勇に会おうぜー。だいぶ会ってねーし。」
勇の復讐計画は順調かに見えた。親衛隊7位の七尾が"神山"と会いたいと連絡が入ったことを内村が勇に伝えると、勇はこの計画の最終局面を頭の中で睨んでいた。
(計画通り、テンポ良く進んでいる。想定外のことが起きなければ、今週のうちに早乙女と決着をつけられるだろう。)
(今頃計画通り進んでるとでも思ってるんだろう。)
屋上で独りタバコを吸いながら、早乙女は心の中で呟いた。
(そろそ、動くか…。)
ピロリン♪
教室の自分の席で突っ伏して寝ていた南原の携帯が鳴る。メッセージを確認すると、南原はすぐさま3年9組の教室へと足早に駆けていった。
「せ…先輩…なんでしょう。」
「おー、ちょうど売店行くとこだったんだ。行こーぜ。」
右山は南原の方に手を置くと、売店に向かって歩き出した。
「お前内村と仲良かったな?」
売店への道すがら、右山が唐突に訊いた。
「はい?まぁ…。仲が良いってゆーか、同じクラスなんで…。」
「内村はお前より順位低いよな?」
「はい。」
「だよな。じゃー内村が早乙女に会ってなに話したか知らねーな、その様子じゃ。」
「はい…?なんのこと…ですか?」
「謹慎期間が終わったら、内村が2組の番長になるらしい。序列はお前の方が上なのに、どうしてそうなったかはわからねぇ。」
南原の胸の中のザワザワしたものが、どんどん膨らんでいく。
「内村が…早乙女さんに会ったんですか?」
「あぁ。2人で何話したかは知らねぇがな…。序列シカトして番長決めんのは納得いかねーよ。」
南原の頭の中は、いつになくグルグルと回っていた。
(内村の野郎…何考えてんだ…。…いや…待てよ。もしかして自分だけ助かろうと思って俺のこと売ったんじゃ…。だとしたら謹慎期間が終わったら…。)
自分がやられる。組織内の裏切り者として。南原は苦労して導き出したその結論に顔面蒼白となった。
仁はバイクのタンデムシートに愛を乗せ、泰山高校へ向かっていた。
「勇のヤツ、なんで携帯解約したんだろ。」
「さぁなー。ガチで勉強頑張ろうとしてんじゃねー?」
「てか本当に勇に会うにはこの方法しかないワケ?」
「あぁ。校門で待ち伏せて、下校の時に会うしかねーよ。」
下校時刻。辺りは日が落ち、すっかり暗くなっていた。七尾が校門の前に立つ。下校する生徒達の中を歩く勇を見つけると、呼び止めた。
復讐の毒鼓 第58話
「すいません。」
予備校へ通う愛に声を掛ける男がいた。見ると、どこかの学校の制服のようなものを着ている。
「ちょっとお伺いしたいんですけど。」
「はい?」
「この辺に東伸高校ってありますか?」
道聞きだった。きっと最近転校してきたのだろう。普段配達の仕事をしている愛にとって、この手の質問に答えるのは容易い事だった。
「東伸なら、まっすぐ行って突き当たり左行けばすぐですよ。」
「ありがとうございます。」
(あーあ、羨ましい。)
教えてもらった道を歩いていく男の後ろ姿を眺めながら、愛は独り心の中で呟いた。
(僕も昔はあーやって制服着てた時代があったのに。)
愛にしても、自ら好んで"退学組"になった訳ではなかった。元々は不良から足を洗い、真面目に学生生活を送ろうとしていたのだ。
「おーい。」
独り物思いに耽る愛に、また声を掛ける男がいた。
「ジョー…。なに?僕に会いに来たの?」
「あぁ、ちょっと聞きたいことあってな。」
声をかけてきた男の名は浜田ジョーといった。愛がまだ退学になる前に通っていた紀星高校という学校で、最も仲が良かった男だ。2人は予備校の前に座って話し始めた。
「僕はいい。それより早く話して。授業始まっちゃうから。」
愛はジョーから勧められたタバコを断る。
「高校通ってるオレよりマジメじゃねーか。いや、それがよ。泰山の早乙女が他校の不良達に神山秀のこと聞き回ってんだ。」
「神山秀?」
「あぁ。お前と仁がつるんでるヤツだろ?」
「ちがうよ。毒鼓は神山勇。」
「あぁ、そうだったな。アイツは勇か。タメだから兄弟じゃないし…。関係ない別人ってことか。」
この2人や仁なども、勇の双子の兄の存在は知らない様子だ。
「でもなんで急に?」
「オレだって知らねーよ。早乙女のヤローが偉そうに連絡回してウゼーからシカトしてやろーかと思ったけど…。そういやお前のダチだった気がして確認しに来たんだよ。もしそーだったら知らねーフリしとこーと思って。まっ、違うならいいわ。勉強がんばれよ。」
忙しそうな愛に一瞥すると、ジョーはさっさと帰っていった。そんなジョーの後ろ姿を眺めながら、愛はいつぞやの時のことを思い出した。
「神山秀…知ってますか?」
これは泰山高校の"3人組"との決闘が終わった後、早乙女が仁に上着を手渡しながら言ったセリフだ。
「神山秀…ただのガリ勉くんだろ。」
セリフの途中に入っていた微妙な間が、今になって気になってきた。
(そーいや仁は何か知ってそうだったな…。)
「はぁ…。なんだこれ。サッパリわかんねぇ。」
その頃仁はパソコン整備の専門学校に通って勉強していたのだが、目の前の課題に悪戦苦闘していた。そんな仁の元へ着信が入る。
「おー、どした?」
「夜時間ある?」
愛からだった。
「黙ってたらあなたはユウだって皆にバラすわよ。」
江上が返事を迫る。これ以上、勘の良い女を騙し続けることには無理がある。勇は観念した。
「お前…秀の味方だよな?」
「…!」
予想していたこととはいえ、いざ事実を突きつけられると動揺を隠せない。
「あなた…本当に…?」
「そんなに顔に出すな。周りに怪しまれる。」
江上は指摘を受けて慌てて体を勇に寄せると、周りを気にしながら耳打ちした。
「じゃあ、あなたはシュウのふりをしてるの?どうして?シュウはどこ?」
「その話は後でする。」
「どうしてシュウのふりなんか…。」
「頼みたいことがある。」
「え?」
矢継ぎ早な江上の質問を一旦抑える。
「誰にも言うな。それから…秀の為を思うなら、俺を手伝って欲しい。」
「どうやって?」
「騒ぎ立てずに静かにしてればいい。」
「でもあなたがユウなら…。去年シュウがしたこと、知ってなくちゃいけないんじゃない?」
「え?」
この女はいったいどこまで知っているのか。秀は何をしようとして、あんなことになったのだ…。止めどなく浮かぶ疑問が、勇の頭の中を渦巻く。
「去年シュウが何をしたか、教えてあげる。私の番号あるわよね?放課後電話して。」
江上はそう言ってその場を立ち去った。2人の様子を、木下が肩越しに睨みつける…。
「そうですか。江上と神山が話し込んでいたと…。」
屋上にいる早乙女に、木下はすぐに先程の2人の様子を報告した。
「うん。江上のヤツ、なんか知ってそうだった。」
「今他校のヤツらが、神山秀の情報を集めています。遅くとも今週中にはどんな人物か分かるでしょう。もし江上が私を騙していたなら…。それなりの対処が必要ですね。」
「対処?」
「大した事ありませんよ。ただ女に飢えた野郎共ならいくらでもいます。」
早乙女は、女の尊厳、未来を奪うことに微塵の躊躇いもない。頬に冷や汗を伝わせながら、木下は訊いた。
「神山はどうするつもり?」
「これからが見ものですよ。少しはしゃぎ過ぎですね、アイツは…。」
早乙女は薄ら笑いを浮かべた。
復讐の毒鼓 第57話
「お前こっちだろ。明日な。」
「え?あぁ…。」
軽く挨拶をして帰ろうとした勇だったが、内村の生返事が引っかかる。そういえば先程八木について聞いた時も、どこか心ここに在らずといった感じがしていた。
「内村。」
「え?あ、うん…。」
「なにかあったか?」
勇の問い掛けにも反応が薄い。
(様子がおかしい。早乙女に何か言われたか?)
「俺の肩の話は広めたか?」
疑いながらも勇は別の話を振った。
「あ…いや…明日…。」
「いや、もう大丈夫だ。このくらいあいつならすぐ勘づく。」
「分かった。」
(内村…。何かあるかもしれないな。)
帰っていく内村の背中を見ながら、勇はひとりごちた。
早乙女は夜の屋上で、ソファに座って八木から送られた動画を何度も見ていた。
(この戦い方…。只者じゃありません。)
「そこでずっと何してんだ?」
屋上に来た佐川が、先程からずっとソファに座って携帯を見続けている早乙女に聞いた。右山も一緒にいる。
「おかしいと思いませんか。」
「あん?何がだ?」
「神山の喧嘩の実力は、私の頭の中を随分とごちゃごちゃにしてくれます。」
「何か策は思いついたのか?」
「9位、10位じゃどうせ勝ち目はありません。7位の七尾満でいきます。」
「でも神山の戦いぶりは皆川の言う通り3位以上だったろ?」
7位では太刀打ちできないのでは。そんな佐川の意見に右山が口を挟む。
「そこまでやる必要ないだろ。五十嵐で十分だ。でも七尾は…。」
「いや、七尾なら手段を選びません。私も、どんな方法でも許可するつもりです。」
教室で机に伏せて眠る七尾の携帯が鳴る。勇と臨堂が戦う動画が早乙女から転送されていた。
「なんだあ?つえーじゃん。」
すぐに確認した動画から、勇の実力を認める。肩の怪我については、勇の読み通り早乙女から伝わっていた。
「右肩は使えないっと…。んだよ、ちょれーじゃん。」
翌朝。大勢の生徒達が登校する人波の中で学校に向かって歩く勇に、忙しなく走る足音が近付いてきた。
「シュウ!」
「ん?」
駆け寄ってきたのは江上だった。
「ちょっと来て!」
「え…ちょっと…。」
江上は挨拶もそこそこに勇の手を掴むと、そのまま校舎の中まで引っ張っていった。その少し後ろを歩く木下が、2人の様子に刺すような眼差しを向けていた。
「ねぇ、シュウ。」
購買の自販機で買った缶コーヒーを手渡しながら話す。
「正直に話してほしいの。」
「なにを?」
「あなた…。」
意を決したように鋭い眼差しで、真っ直ぐに勇を見据えて言った。
「シュウじゃないでしょ。」
江上は昨晩思い出した、小学生の時の話をした。勇が体格の良い少年を散々痛めつけていたところを、江上が止めた時の話だ。当時の事は勇も覚えていた。その記憶の中で勇を止めた少女は、悲しげな目で勇を見つめていた。
(あの時の子が…江上百々?)
「私が当ててみましょうか?」
「なんの…こと?わからないな…。」
貰った缶コーヒーの蓋を開けながら誤魔化そうとする勇の顔を、なおも真っ直ぐに見据えながら江上は言った。
「あなたは…シュウの双子…。ユウでしょ?神山勇。」
「…。」
「一体…何を企んでるの?シュウはどこ?」
復讐の毒鼓 第56話
すっかり日が落ち街灯の明かりが浮かび上がる公園で、再び2人は睨み合う。ちょうどその頃学校では、通知を受けた木下がクラス全員に聞き込みをしていた。
「神山秀と同小の人いる?」
しばし待つも、返事はない。
「いないワケ?」
「私…だけど…どうして?」
恐る恐るそう答えたのは江上だった。
「あんた、同小だったの?」
「う…うん。5年生の時、同じクラスだったけど…。」
「放課後屋上来て。」
木下の圧力を前に江上は、今しがた名乗りを挙げたことを後悔した。だが以前秀(勇)に渡した通帳の暗証番号も聞き出せずにいる今、自分が彼にしてあげられる事は無いか。何をされるか分からないような、こんな事に江上が首を突っ込む理由はその一点のみだった。
勇の鋭く踏み込む足音が、公園の暗闇を切り裂く。勇は瞬時に間合いを詰め、八木の腹にパンチを入れた。それとほぼ同時に、右手で八木の奥襟を掴む。八木はすぐに振り払おうとしたが、逆に頭を押し下げられた。
バキィッ!
勇の膝が八木の顔面に突き刺さる。
(今だ。)
膝蹴りを喰らって怯んだ八木の隙を見て取ると、勇は奥襟を掴んだまま矢継ぎ早に左のパンチを叩きつけまくった。
(早く体勢を立て直さねえと…。このままだとやられる…!)
焦る八木。とにかく早く体勢を整えようと慌ててもがいた八木の動き出しを、勇は見逃さなかった。
「あ…。」
言葉にならない声を上げた八木の目に映ったのは、天高く突き上げられた勇の足。その足がそのまま振り下ろされると、勇のカカトが八木の脳天にめり込んだ。
「江上百々?」
木下に連れられて屋上へ来た江上に、早乙女は意外そうな顔で言った。江上の顔からは緊張感が見て取れる。何をされるか分からない恐怖に、江上は一人気を張っていた。
「いくつか聞きたいことがあるだけです。そんなに身構えることないですよ。」
「な…なに?」
「神山秀…。小学生の時、喧嘩は得意でしたか?」
「シュ…シュウ?」
早乙女の突拍子もない質問に思わずその名を復唱した江上の頭の中に浮かんできたのは、小学5年生の時の記憶…。
「ちょっと!」
秀の頭を殴った、クラスの中でも一際体格の良い少年に江上は声を掛けた。
「シュウのこと、ぶたないで!」
江上のあまりの剣幕に、その少年はすごすごと退散していった。
「全然…。どうして?」
当時の記憶からしても、秀と喧嘩というものが全く結びつかない。
「…おかしいですね。」
「も…もう話終わったなら帰っていい?」
知らず知らずの内にボロが出てしまっては、後々が不安だ。だが早々に立ち去ろうとした江上に、早乙女はさらに質問した。
「神山秀。どんなヤツでしたか?」
「別に…。今と一緒よ。真面目で、大人しくて…。」
「同じ小学校のヤツは他にいませんか?」
「私とシュウの小学校はここと学区域が違うから…。他にはいないわ。」
「いつ引っ越して来たんですか?」
「シュウは6年生で、私は中3。」
「そうですか。分かりました。もういいですよ。」
ようやく、えも言われぬ威圧感から解放された。
教室へ戻る廊下を歩く江上に、またも当時の記憶が蘇る。先程の体格の良い少年を、今度は秀が殴っているのを見つけたのだ。
「シュウ!なにしてるの!」
あまりに唐突なこの状況に、慌てて声を掛ける。そんな江上の方を見た秀と思しき少年の口から、不可解なセリフが飛び出した。
「オレ秀じゃねーもん。」
当時と今。状況が似てはいないだろうか?まさか…。
復讐の毒鼓 第55話
「僕、今日君と戦うつもりないんだけど?」
八木は勇の挑発に固い姿勢を見せた。
「内村。」
「え…うん?」
「アイツは誰だ?」
「八木健介。親衛隊の8位だ。」
親衛隊員とあれば、やはりこのまま帰す訳にはいかない。勇は未だ地面をのたうち回る臨堂の頭を踏みつけ、さらに煽った。
「お前にそのつもりがなくても、俺にそのつもりがあれば戦うんだよ。」
「…分かったよ。その前にファイル送らせてくれ。」
臨堂との喧嘩の動画を送信する。八木は携帯を操作しながら質問した。
「一つだけ聞いてもいい?」
「なんだ。」
「戦ってるヤツは分かんないだろうけど、遠くで見てたら分かっちゃったんだよね。アンタ右肩使えないんだね。それで直接的な攻撃じゃなくて関節狙ったんでしょ。」
「…。」
「悪いけど、そんな身体で僕に勝てると思う?」
八木の指摘に内村が一人、冷や汗を流す。そんな彼をよそに、八木は携帯とかけていたメガネをベンチに置いた。
「送信完了。今に後悔するよ。覚悟しな。」
ピロンッ♪
早乙女の携帯が鳴る。
「佐川。」
「どうした?」
「神山が臨堂と戦ってる動画が八木から届きました。」
早速早乙女と一緒に確認したその動画を見て、佐川は絶句した。
「こんな…。あり得るのか?」
「八木に来てもらって、直接話を聞きます。」
西陽に赤黒く染められた空の元対峙する2人を、内村が固唾を飲んで見守る。
(コイツは一度、俺が戦うところを見ている。今までの油断して来たヤツらとは違う。)
(コイツ本当に神山か?肩を怪我してるくせに隙がない。)
2人が互いに対して持つ警戒感に、公園の空気が張り詰める。
「来ましたか。」
もうほとんど日が落ちて薄暗くなった屋上にいる早乙女に呼ばれたのは、親衛隊6位の六田義男。
「なんの用だ。」
「君は確か神山と同じ中学でしたね。」
「あぁ、そうだ。」
「神山は中学の時、喧嘩が強かったです?」
早乙女は動画の中で臨堂と戦う"神山"が、昨年リンチしたあの"神山"と同一人物であること自体を疑っていた。
「いや、全然。」
「小学校の時は?」
「小学校までは知らねーな。学校も違う。」
「だとしたら休学してた1年の間にもの凄く強くなったってことになりますが、そんなのは無理です。」
「死ぬ気で喧嘩だけ鍛えたんだろ。」
佐川が異論を唱えるも、早乙女は納得しない。
「それ位じゃ説明がつきません。臨堂の相手をしながら、肩は無防備にしている。」
「?」
「彼は『ここが俺の弱点だ。かかってこい。』こう言ってるんですよ。1年の間にここまでできると思いますか。」
「そうじゃなくて右肩ケガしてんじゃねーのか?使えてねーぞ。」
「…なるほど。その線も消さずにいましょう。3年で男女問わず当たって、神山と同じ小学校だった人を探してきて下さい。」
公園では勇と八木の互角の攻防が繰り広げられていた。互いに攻めきれず、決定打がない。
(肩は…全力では使えない。それで勝つには…。あの方法しかないだろう。)
復讐の毒鼓 第54話
『みんなの声』と書かれた投書箱が、泰山高校にある。秀は昨年、この箱へある投書をした。
「神山の投書は、すぐ私の手元に来ました。その内容は、かなり詳細に書かれたナンバーズの内部事情でした。」
「どんな?」
「いくら徴収して、いくら配布しているかなど、事細かに。」
さらに早乙女は、その投書の中に『その他』という項目までもが記されていたことを一条に話した。
「その他?」
「去年の1位から10位までは、今年の2位から11位までと一緒です。君が2学期に転校してきて今年の1位になりましたから。」
「去年の3年は?」
「金だけ巻き上げて、ナンバーズの活動からは外しました。通帳の詳細はナンバーズの幹部と去年の10位までが知っていたはずです。」
「その詳細がその他なのか?その他とはなんだ。」
『その他』に関する質問を、早乙女は煙に巻いた。
「私たちの後ろ盾とだけ知っておいて下さい。とにかく…私、右山、佐川、木下、それから親衛隊10人。私を除いてこの13人の中に、神山に情報を流したヤツがいるってことです。」
その投書を見た早乙女が、パシリを拒否したという理由を付けて秀を潰した。これが、昨年の神山秀暴行事件だったのだ。ただこの件が大ごとになったせいでうやむやになり、秀に情報を流した人物の特定ができなかったのだ。
「そんな中今年、神山が復学してなにかを企んでいる。どうです?神山側についたヤツを探さない訳にはいかないと思いませんか?」
「しかし俺のことはなぜ呼んだ?」
「近々五十嵐が動くはずです。でも五十嵐1人じゃどうも不安です。そこで1位の君が神山サイドにつくとしたら…。」
早乙女は一条の実力を自分とほぼ同等と見ていた。そんな一条が神山につくと知れば、見込みがあると思って動く者が出てくる可能性がある。つまり、不穏分子を簡単に炙り出せるということだ。
「じゃあ、みんなを集めて神山の思惑通りに動けと命令したのは?」
「それは…。彼の耳に入ればと思って…ですよ。」
早乙女は勇を絡め取る罠を、幾重にも仕掛けていく。
「ゴルァ!」
臨堂が吠えながら勇に突っ込んでいく。その臨堂に、勇は距離を取りつつ蹴りを放つ。臨堂はそれを避けると、勇の軸足を掴んで転ばせた。
「なんだその顔。ビビったか?あんまなめんなって。」
(真っ向から戦うと負けると見込んで、変則的な攻撃…。臨機応変に動けるな…。)
ドヤ顔の臨堂をよそに、相手の能力を冷静に分析する。だが一度余裕ができると、臨堂の減らず口に拍車がかかった。
「テメーみたいにがむしゃらに1年鍛えたヤツには使えねーワザだよ。変則的な攻撃。練習より場数踏んでるヤツがつえー理由、知ってっか?臨機応変に動けっからだよ。教科書通りの動きだけじゃなくてな。つまりテメーはどう足掻いたって無理ってこったよ。テメーとオレじゃ踏んだ場数がちげーんだよ。」
「おしゃべりはそれで終わりか?」
臨堂の長話にうんざりした勇が、ようやく口を開く。
「ククッ。まーザコにはオレ様の実力を見抜く力もねーか!」
「いー加減にしてよ、しゃべりすぎ。充電なくなるから早く終わらせて。」
「わーったよ。」
勇と同じく長話に飽き飽きした八木がけしかけると臨堂はようやく動き出すが、それでも口数は減らなかった。
「わからせてやるよ、実力の差ってヤツをな。今日のことを一生後悔…。」
ガンッ!
臨堂の顎先で何かが弾けた。
「あん?…なんだ?蚊か?」
「?」
当の本人である臨堂はおろか、側から見ていた八木ですら何が起きたか理解できなかった。臨堂の顔に当たったのは、勇のパンチだった。速過ぎたのだ。
「実力のないヤツには分からないだろうな。」
「こんのヤロー!」
挑発にキレた臨堂が殴りかかる。勇の顔面に右のパンチ。勇はそれを避けると同時にその手首を掴むと外側に引っ張りながら背後に回り、もう一方の手で臨堂の肩を後ろから抑えた。
バキバキッ!
少し乾いた気色悪い音と共に、臨堂の腕があり得ない方向に曲がる。勇は一切の躊躇なく、臨堂の肩を壊した。
「うあああ!肩が!!肩があぁぁっ!」
「お前も来い。」
のたうち回る臨堂には目もくれず、勇は動画を撮影する八木の方を向いて言った。
「カタつけてやる。」