復讐の毒鼓 第67話
何処となく趣のある、少し古びた建物の看板には『懐石料理 かつら』とある。この店の入り口から、早乙女は店内へと入っていった。この店の個室の中で一人、手酌をする中年の男がいた。泰山高校の校長だ。校長が神妙な面持ちで今しがた空けた盃をぼんやりと眺めていると、個室の入り口に早乙女が現れた。
「3週間と約束したはずだがね?」
校長は早乙女が席に着くのを待たず、話を切り出す。
「もう2週間が過ぎようとしてます。最近は警察の監視も弱くなり、大丈夫かと。」
「それで?」
「天気予報によると来週は火曜から木曜まで雨の予報ですし、少し早めても大丈夫かと思います。」
「と言うと?また神山を集団でリンチでもするつもりかね?早乙女君、君は一体何を考えているのかねぇ。生徒の分際で教師を利用しようとして…。私だってね、君らの金だって分かってたら受け取らなかったんだよ。」
「ハハ。実に面白い。」
早乙女は手元の盃に口をつけると目の前の『その他』が発した言葉を静かに嗤った。
「面白いだと?」
「今まで尻尾を振って金を受け取ってたクセに、問題が起きそうになるとしらばっくれる姿が滑稽で。」
「なんだと?キサマ!」
「私には!」
逆上する校長を一喝し、話を続ける。
「10歳違いの兄がいます。兄も泰山出身で、高3の時の担任が校長先生だったと聞きました。その時のあだ名がゼニムシ…だったとか。」
「ゼニムシ…?」
生徒が先生を、人を食ったようなあだ名で影で呼ぶことはよくあることだが、この場においては様相が違った。
「ゼニ(銭)を食うムシケラ(虫)ってね。厄介な害虫です。」
早乙女の兄の頃にも、職員室までわざわざ賄賂を届けに行く者が度々いたのだ。
「私がなぜ先生をターゲットにしたか分かりますか?校長だから?いいえ。あなたはお金が大好きだってことを知ってたからです。」
校長は黙って目を伏せた。早乙女は校長のささやかな拒否反応に構わず、さらに続けた。
「お金を好きな人が教頭だったら教頭に、指導部だったら指導部の先生のところに行ってましたよ。」
「…貴様…。」
校長はその顔に怒りの色を滲ませたが、返す言葉が無い。
「ワケもちゃんと聞かぬままずっと受け取られてましたしね。もしあなたが真っ当な教師だったら、はなから私なんかの誘惑に惑わされなかったはずです。」
「ぐっ…。調子に乗りよって!」
「今になって興奮したところで、私からお金を受け取った時点でもう私たちは同じ船に乗ったもの同然です。」
「き…きみはまだ18歳だろう…?どうして…。どうしてそんなに堕落してしまったんだ…。」
先程まで滲ませていた怒りの色は、既に狼狽に変わっていた。
「誰よりもお手本になるべき教師がこんなに堕落してるんですよ。私はあなたの生徒だ。当然の結果じゃないでしょうか?」
口角こそ僅かに上がっている早乙女の表情は、しかしそれは笑顔と呼ぶにはあまりに禍々しいものだった。
「な…何が望みだ…。」
顔一杯に絶望を湛えた校長の問いに早乙女が答える。
「もうすぐ何か問題が起きると思います。去年みたいに揉み消して下されば結構です。先生だって知られたくないでしょうし。」
「問題…?神山を殺しでもするつもりか。」
「まさか。去年も死にかけた神山を病院に運んだのは私ですよ。今回もそれ位にしておくつもりです。」
「あ。」
早乙女が思い出したように付け足した言葉。それは身の毛がよだつほど冷酷なものだった。
「でもまぁ、病院に運ばれてから死ぬのは知ったこっちゃないですけど。」
個室にしばし沈黙が横たわる。あまりに非道な早乙女に、校長は掛ける言葉を失っていた。自分も同じ穴の狢では、諭す言葉などあるはずもない。校長はやっとの思いで沈黙を破った。
「さ…早乙女君。君はまだ若い。確かに真っ当に生きてこなかったのは認めよう…。しかしだね…。君はまだ遅くない。まだ学生なんだ…。いくらでも戻れる…。受け取った金は全部返す…。私が悪かった…。だから君も…。」
既に焦燥し切った校長が自らの罪を認め、諭す言葉も早乙女の耳には届かない。
「ジャンヌダルクが百年戦争でフランス軍を勝利に導いたのは17歳。ビルゲイツがマイクロソフトを設立したのは18歳。聖徳太子が推古天皇の摂政となったのが19歳。」
「…。」
「皆同じ制服を着せては『お前らはまだ子供だ。大人の真似事はやめて子供らしくしろ』などと言われるから、頭の悪い奴らは言われた通り子供みたいにただ生きる。そうでしょう?先生。私はそんな馬鹿共をまとめてます。だからそんなありきたりな言葉には反吐が出るんですよ。」
最早ただただたじろぐことしかできない校長の顔には、幾筋もの冷や汗が伝っていた。
勇と近江が連れ立って来たのは、ありふれた喫茶店。ここが五十嵐が近江に伝えた、ナンバーズを潰すための話し合いの場だった。2人が入ると、一条と共に先に席に着いていた五十嵐が手を挙げた。
「制服はどうした?」
「駅のロッカー。制服着てタバコ吸ってるとめんどいからさ。」
「とりあえず早乙女を潰す計画だ。」
勇と五十嵐が挨拶代わりに軽く言葉を交わすと、一条が指揮を執った。
「わーったよ。とりあえず早乙女を消すには、金魚のフンの佐川と右山から片付けないとな。」
「他の親衛隊はどうしましょう?」
近江の質問にも五十嵐が答える。勇や一条と違い、泰山で過ごしてきた時間が一番長いだけに内情を熟知していた。
「えっと…。二階堂、三鷹、四宮、六田、七尾。9位と10位は神山の仲間にやられたから、今残ってるのはそれ位だ。俺と一条はお前サイドだし。あ、そーだ、神山。」
「なんだ。」
「去年ナンバーズの中にお前の味方してた奴いるだろ。そいつも仲間に入れるのはどうだ。人数が多けりゃ多いほど良いだろ。」
五十嵐は昨年の協力者ではないのか?思い出したように付け足した彼の言葉が、未だ勇にとって謎なところへ手を掛けようとしていた。