復讐の毒鼓 第65話
十文字の顔が朱く染まる。仁の剛腕から繰り出されるパンチを浴び続けたその顔は、もはや親でも見分けがつくか疑わしいほど酷く腫れ上がっていた。既に気を失っている十文字をまるでゴミでも捨てるかのように地面に放ると、仁は振り返った。その先には足を折られた九谷が蹲っている。仁に胸倉を掴まれると、九谷の顔は恐怖と絶望で見る見る歪んでいった。
ドスッ!バキッ!ダンッ!
目の前に広がる凄惨な光景に、江上は思わず目を瞑って顔を背けた。つい今しがたまで自分を襲おうとしていた男達とはいえ、江上にとってはあまりに酷い有様だった。
「物騒な世の中です。暗くなったら人通りのない道、一人で歩いちゃダメっすよ。」
「は…はい…。」
不意に始まった仁の説教に江上が上擦った声で返事をすると、聞かれてもいないのに自己紹介が始まった。
「勇のダチっス。雷神の仁って呼ばれてますわ。」
「雷神の…仁?」
その聞かれてもいない自己紹介に武勇伝が絡むと、もう手に負えない。
「風神雷神っているじゃないっすか。俺っち苗字が雷藤なんスけど、昔一人で30人位一気に相手したらそんなあだ名がいつの間にかついちゃってて。」
「それ自慢じゃないから、仁。余計なこと言わないでよ?」
「あん?」
嬉々として聞かれもしない武勇伝をのたまう仁に、後ろから愛がクギを刺した。
「喧嘩自慢なんて、僕たちと違って女の子は喜ばないって。」
見ると、勇も一緒に来ている。
「江上、帰れ。気を使ってやれなくて悪かった。」
「え…えぇ…。ど、どうも…。」
江上は恐る恐る仁や勇達に挨拶すると、そそくさとその場を去った。江上が帰ると仁の説教の矛先が勇に向く。
「ろくにオンナと付き合ったこともねーから、分かってねーなぁお前は!」
「は?俺のこと?」
「そうだよ。」
「まぁな…。じゃあ頼み事一つさせてくれ。」
「あん?言ってみ?」
頼み事と聞いた途端、仁の目が分かりやすく輝きだす。
「夜空いてたらしばらく江上のこと見といてくれないか。俺は喧嘩があるし、愛はバイトだし。」
「ボディーガードってことー?」
理由はともかく、早乙女は江上にも狙いを定めている。人質にでも取られては、ひとたまりもない。
「あぁ。今見てたら江上のことにも気を配る必要がありそうだ。」
「五十嵐さん。」
公園のブランコに座る五十嵐に、近江が声を掛けた。
「うーっす、清十郎ー。」
「こんな時間にどうされましたか。」
「はぁ…。早乙女に恥かかされてな…。ボコられたんだよ。本当やってらんねぇ。」
「え?」
寝耳に水の近江に、五十嵐は身の上話を始めた。
「くっだらねー王様ごっこにちょっと付き合ってやったら、俺のこと舐めてたんだろーな。七尾が神山にヤラれんの止めただけで、みんなの前でボコりやがった。」
「あ…。」
「にしても神山のヤツ、マジで強えな。早乙女と張り合えるレベルだぜ、ありゃ。」
「…。」
何が言いたいのだろう。迂闊な事が言えない近江は黙っているしかなかった。五十嵐は俯いたまま近江に訊いた。
「お前さー、神山のこと、どう思う?」
側に立っている近江からは見えない五十嵐の顔は、薄気味の悪い笑みを湛えていた。
「ふぅ…。」
自宅に帰るとようやく武装解除である。勇は一息つくと、例によって仕入れた情報を壁に書き出した。
秀の手帳は何処?
秀に情報を流していた味方は誰?
江上攻撃される。要注意
仁、愛 一緒にやるかも
(なんかモヤモヤする。)
壁書きをしながら勇は、全身を縛りつけられるような鬱屈とした想いについ身を屈めた。
(暴力に暴力で対抗するやり方じゃダメなんだ。それは正しくないから。)
江上から聞いたはずのそのセリフが、秀の声で再生される。そんな事は重々承知だ。そんな生活が間違っていると分かっているからこそ、仁や愛が既にやったように不良からの引退を目指していたことだってあった。だが、その正しい方法とやらが出した結果はどうだ。ただ家族を失うだけの方法が正しいと言えるのか。勇は思い直すと、屈めた身体をスッと伸ばした。
(秀…。お前のほうが間違っているんだ。)
勇は自室の壁を、穴が開くほど睨みつけながら懸命に自分に言い聞かせた。
「あの…何のことか…。自分も神山に他の2年と一緒にやられてますんで…。」
下手な事を言えない近江はとりあえず既成事実を口にした。
「わーってるよ。早乙女にお前のこと伝えたのも俺だしさ。ちゃんと分かってるって。…でもよー、ぶっちゃけお前、神山と組んでたっしょ?」
「…。」
「お前のこと心配になって止めたけど、神山の実力見たら気ぃ変わったわ。お?このレベルだったらいけそうじゃん?ってな。」
沈黙を続ける近江に、五十嵐の(偽装の)ぶっちゃけ話が続く。
「清十郎。前も言ったけど、俺はお前のこと気に入ってんの、知ってるよな?」
「ええ…。」
「今回さ、早乙女にボコられて思ったわ、俺。もし出来るなら…。」
「?」
五十嵐は目の前の空間を鋭く睨みながら、重々しく言い放った。
「ナンバーズも親衛隊も何もかも、ぶっ壊してやりてぇってな。」
「…!」
それは、近江が高校入学前から抱いていた想いだった。自分一人では無理でも、協力者がいれば出来るかも知れない。
「どー?お前から見てイケそー?それともお前はもう完全に早乙女サイドに戻ったの?」
「…。」
何かが近江を踏み留まらせる。あるいはそれは、自信が無いのかも知れない。煮え切らない態度の近江に、五十嵐は一瞥して去ろうとした。
「…あっそ。分かったよ。じゃーな。」
「…あの!」
遠藤の言葉を借りると、中二病をこじらせた想い。近江はその想いを、こじらせたままで通すことを諦めたことは無かった。目の前の信頼できる先輩が声を掛けてくれている。近江はここが腹を括る時だと悟った。その信頼できる先輩は、近江に背を向けたまま極めて気色悪い笑みをその顔に貼り付けている。
「ん?」
「実は…。」
表情を戻して向き直った五十嵐に、近江は恐る恐る話し始めた。