復讐の毒鼓 第61話
「誰に向かってそんな顔してんだテメー。」
勇のあまりにおぞましい表情に一瞬怯んだ七尾だったが、すぐに気持ちを立て直した。
「死ね!」
勇の顔めがけてパンチを繰り出す。だが勇はそんな七尾の動き出しを狙い、あっさりとその手首を掴んだ。
「テッ…テメー…。」
振り解こうとするその手を、勇は凄まじい力で捻り上げた。
「イッテテ…。」
「俺が右腕を自由に使えないこと…ありがたく思うんだな。」
勇はそう吐き捨てると、七尾の手を放した。今の今まで鬼のような怪力で手を捻られていた七尾は、すぐに治るはずのない痛みと痺れに思わず手を抑えた。と、その時。
ドッ!
「あぁっ!」
鈍い音と共に、七尾の脇腹に激痛が走る。七尾はその激痛によって初めて、自分の脇腹に拳が叩き込まれたことに気付いたのだ。腹から全身へ拡がる痛みと痺れ。呼吸もままならない。
「…が…っ!」
七尾は呻き声を上げて悶絶した。手首に気を取られて無防備になった腹への一撃。親衛隊序列一桁の意地からか倒れはしなかったが、その想像を絶する苦痛に七尾の身体がくの字に深く折れ曲がる。
「とっとと終わらせてやる。」
少なくとも暫くは迎撃どころか防御も碌にできないであろう七尾の前に、勇が立ちはだかる。
「おい!何してんだ!」
トドメを刺そうとしたところへ、大声を上げながら五十嵐が駆けてきた。
「七尾!何やってんだ!なんで神山とやり合ってんだ!」
五十嵐は未だに身体を屈めて咳き込んでいる七尾の脇を抱えて言った。
「わりぃ。七尾は俺が連れてく。」
「え…?」
突然割って入ってきたかと思えば突拍子もないことを言い出す五十嵐に、七尾の怒りと狼狽は完全に行き場を失っていた。
「お前は…?」
五十嵐の顔など当然知るはずもない勇が訊くと、五十嵐は答える代わりに真剣に勇を諭し始めた。
「お前の気持ちも分からないでもないが、こういうのはもうやめておけ。後で早乙女に何されるか分かんないぞ。本気で心配して言ってるんだ…。」
(なんだコイツは…?)
勇にとっても全く意味の分からない五十嵐の乱入に困惑する内に、五十嵐は七尾を抱えて足早に去っていった。
「なんだ…テメーは。」
七尾は去り際、勇に殴られた脇腹を抑えながら五十嵐に不満を垂れる。
「黙れ。いいから行くぞ。」
小声で返す五十嵐の顔からは、先程勇に心配していると言った時の人情味など跡形もなく消えていた。
2人の姿が消えると、勇は仁達の方を見た。兄弟同然の親友同士、ようやく笑顔の再会を果たせた。
「なるほど。そんなことがあったか。」
勇は早乙女の学校外での動向について、愛から聞かされた。
「うん。だから、とりあえず皆に知らんぷりしとくように言っといた。」
「バレるのも時間の問題だな。」
「俺たちにも言えないようなことなのか?」
「いや、俺たちの間に秘密なんかない。ただ話すとお前らに迷惑をかけることになる。もう足洗ったんだろ?」
仁の問いに、勇は正直な心の内を話した。だが仁は親友の窮地を見過ごせる男ではない。愛にしても同じだった。
「お前の頼みなら、引退もいくらでも先延ばしよ。」
「話すだけ話してみなよ。」
「少し待ってくれ…。今日連絡入れるとこがあって…。」
今日連絡を待っている江上からは、極めて重要な話が聞けるはず。そんな勇の心情にお構いしに、早速仁が茶化し始めた。
「誰だ?オンナ?」
「女は女だけど、お前が思ってるようなそんなんじゃない。」
江上の番号が書かれたメモを見ながら感情を否定する勇の首に、おもむろに腕が絡みついた。
「コイツ!俺っちに内緒でオンナ作りやがって!大きくなったな!カワイイのか?」
「そんなんじゃないって。」
「てか勇さっきケガしたフリしてたね。なんで?」
茶化す仁とは対照的な愛の真面目な質問。やはり親友の目は誤魔化せない。
「俺が怪我するのを早乙女が望んでる気がして。」
「何が何だかさっぱりだ。教えてくれよ。お前の本名って神山秀なのか?」
腕を解かれ離れろと顔を押された仁は、勇が何をしているのか、そもそも何者だったのかさえ分からなくなっていた。
「…いや、俺は勇だ。」
ドスッ!ズザーッ
自身のパンチで吹っ飛び、倒れる五十嵐を早乙女が見下ろす。
「何様のつもりですか。勝手に喧嘩の仲裁までして、随分偉くなりましたね。神山の一味ですか?」
早乙女は屋上で、五十嵐が七尾と勇の喧嘩を止めたことを咎めていた。
「そ…そうじゃなくて…七尾が…ヤラれると思って…。」
「七尾。随分舐められてますね。それ位の実力なんですか?」
「テメーざけんなよ。俺ちんがアイツごときにヤラれるだと?笑わせんな。」
自分の実力まで低く見られては立つ瀬がない。七尾は先程勇にボディブローを効かせられた怒りと相まって、威勢良く啖呵を切ってみせた。
「聞きましたか?五十嵐。彼は私の指示で喧嘩をしようとしたんです。」
「わ…悪かったよ。」
ドゴォッ!
謝る五十嵐にも、早乙女は制裁の手を止めない。もう一発強烈なボディブローを入れると非情な措置を言い渡した。
「3年ってことに免じて2年のいないところでこうやって教育してやってることに感謝することですね。君の順位は10位に下げます。それから2ヶ月報酬も無しです。行きましょう。」
早乙女はひとしきり五十嵐への"教育"を終えると、屋上に集まった他のメンバーを引き連れてその場を後にした。屋上から降りていく列の一番後ろにいた一条が、うずくまる五十嵐に目を向けた。